今日は「南瓜屋」です。
ご存じ与太郎噺で、大阪の「みかん屋」を、四代目柳家小さんが大正初年に東京に移植しました。
小さんも当初は「みかん屋」でしたが、第一次落語研究会で、売り物を唐茄子に変えました。
「みかん屋」で与太郎が「今年のみかんは唐茄子のように大きい」と言うくすぐりがあり、また当時の大看板・初代三遊亭円右が人情噺の「唐茄子屋政談」を得意にしていたこともあり、洒落で変えてみたとの事です。
与太郎が二十歳を過ぎてもブラブラしているのはいけないと、叔父さんが商売物の天秤を貸し、南瓜を与えて売って来いと言います。
「大きいのが十三銭、小さいのが十二銭、これは元だ、売る時には上を見ろ」
「分かった上を見る」と出掛けて行きます。
袋小路で、天秤が引っ掛かって回れなくなった時に
「天秤を外して体だけ回せ」
と注意してくれた人が出てきます。そのおかげで回れるのですが、
その人の世話で上を見ている間に全部売れたのですが、元値で売って仕舞います。
帰ってから叔父さんに「馬鹿野郎、上を見ろとは、掛け値をしろってことだ。
掛け値ができねぇで女房子を養えねぇだろう、もう一度行って来い」
で、さっきの路地に戻るのですが・・・・・
さてうまく売れるかどうか、続きは・・・動画で。
小さん師、小三治師、市馬師とありますが、
このなっかしい師匠で
このなっかしい師匠で
この出囃子って・・・三木助が出て来そうですが・・・出囃子のご通家の櫻川さんにお聴きしないと判りませんが、「筑摩祭」ですよねぇ。
俳優の牟田悌三さん(1928〜)の顔に似ていた四代目 柳好さん(^∇^) テレビの黎明期のテレビに出ていた噺家さんでした。圓生さんは、噺家は落語以外の仕事をすると芸が荒れるって云いましたが・・・この柳好さん世代の噺家さんやそれ以降の噺家ってのは、私にとっては、噺家ではなくてテレビタレントと云うイメージです。
だからと云って、志ん生や文楽や金馬や正蔵のような一癖も二癖もあるような頑固な噺家が、今のようなテレビのバラエティ番組に出たって、面白い訳がないんです。
今の若い落語ファンってのは、本当に不幸だと思います。もちろん、今の噺家の面白さが判らない「私」が逆に不幸なのか知れませんが・・・(^ω^)