昨日は「野ざらし」について書きましたが、
今日はその多門寺のある鐘ヶ淵に流れこんでいた古隅田川について
書いてみたいと思います。

古隅田川とは、、かって江戸以前に隅田川に利根川本流が流れ込み、
江戸湾に通じていた頃の流れが古隅田川と呼ばれています。
今では隅田川は利根川とは縁がありませんが、本来は利根川の支流だったのです。
現在の東京都の地図で足立区と葛飾区の境を見ますと中川の常磐線鉄橋中川橋付近から小菅東京拘置所脇まで、くねくねと続いておりますが、これが旧隅田川流路の古隅田川跡です
kanegafuchi1-1jpg

これが当時の流れを今の図に書いたモノです。随分曲がりくねっていますね。
当時はかなりの大河だった様で、当時はこちらが本流でした。
隅田川は荒川の支流ですが、元々の荒川は江戸湾には流れこんではおらず、
以前は入間川が江戸湾にそそいでいました。
それで入間川の下流部を隅田川と呼んだそうです。
江戸時代に入ると、水害から守るためや水運などを考えて川が付け替えられます。
本来利根川の支流だった荒川は付け替え工事が行われ、入間川と合流します。
それまで入間川だった川は荒川が本流になり、入間川が支流になってしまいました。
当然古隅田川も利根川東遷事業で、経路が変化したり流入口を塞いだりした為
段々と水量が少なくなり、江戸中期にはかなり狭くなってしまいました。
Image025-1

今では葛飾の一部が親水公園となっています。
また、綾瀬川も今とは違って鐘ヶ淵の辺りで隅田川に注いでいて、今の荒川と並行して流れている箇所は
「古綾瀬川」と言う小川に毛の生えた様な川が流れていました。
荒川を堀る時にその流れを利用したり、中川の旧路を利用しました。
今では公園となってしまった旧隅田川の跡に立って、
昔はこの流れが本来の流れだったと考えるととても感慨深いものがあります。
すぐそこで、緒方清十郎さんが釣りをしてたりして(^^)
今日も「野晒し」で、今日は圓遊師匠で。(^^)


もう一つ本命を