8432adf3.jpgえ〜東京でも桜の満開宣言が出ました。
我が菖蒲園や周囲の桜はまだ7分〜5分咲です。
今度の週末かな本当の見頃は・・・・
と思っていたら今日の暖かさで満開になりました。
ってあんまり見に来ないケドwww

自粛ムードの昨今ですが、人様の迷惑にならない程度になら
多少酒のんで少し位騒いでもよかろうかと・・・・ねえ。

そこで、「花見の仇討について考えてみました。
今のところ、柳家と三遊亭系は舞台を上野でやってます。
古今亭系は飛鳥山。
江戸時代、遊興が許されていたのは、向島と飛鳥山です。
ここで疑問、なぜ向島で演じる噺家さんがいなかったのだろう?
まあ、当時の都心から上野以外は離れていました。
飛鳥山は一日がかりの行楽地であった訳で、
向島は通常は船で行く所。
そうすると叔父さんの話や何かで、噺にボロがでて、
辻褄が合わなくなる恐れがあります。
それに明治になると上野の山でも遊興が許可されたので、
設定を作り直したのでしょう。
とまあ考えてみました。
原作は滝亭鯉丈の「八笑人」から取った噺で、
これにも飛鳥山となっています。
(そりゃそうですよねww)

この噺に出てくる六十六部とは何でしょう?
何となく分かるけど一応ちゃんと知っておきたいので、
調べてみました。
・・・廻国巡礼のひとつ。書写した法華経を全国66ヵ所の霊場に1部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧。鎌倉末期に始まる。江戸時代には俗人も行い、鼠木綿の着物を着て鉦(カネ)を叩き鈴を振り、あるいは厨子を負い、家ごとに銭を乞い歩いた。(広辞苑)

正蔵師匠も飛鳥山で演じていました。
明治になって敵討ちが禁止になり、舞台がどうしても江戸時代限定と
なりました。上方落語では「桜ノ宮」と言います。
騒動を起こすのが茶番仲間ではなく、
浄瑠璃の稽古仲間という点が東京と異なりますが、
後の筋は変わりません。
五代目笑福亭松鶴師が得意とし、そのやり方が
子息の六代目松鶴師や桂米朝師に伝わりました。
東京では、明治期に「花見の趣向」「八笑人」の題で演じた
四代目橘家円喬師が、「桜の宮」を一部加味して十八番とし、
これに三代目三遊亭円馬師が立ち回りの型、つまり
「見る」要素を付け加えて完成させました。

敵討ちの口上に出て来る「優曇華の花」とはとしらべました。
「優曇華」はインドの伝説にある、三千年に一度咲く花だそうです。
つまり奇跡に近いと言う意味ですね。

この噺、ニコにはnamさんが上げた金馬師と私が上げた好生師の動画しか有りません。だから好生師のを貼り付けます。