このブログ、今は落語の事しか書いていませんが、
以前は、私のもうひとつの趣味である歴史の事について書いていました。
特に葛飾、墨田、足立あたりの我が郷土に関係のある事を書いていました。
ブログの記事を遡ると日付が大きく跳んでいる処があると思いますが、
2008年の10月以前は落語ではなく此の様な事を書いていました。
(まあ、閲覧者が極端に少なかったんですがねw)

中世の「鎌倉街道」や江戸以前の「東海道」等が
近くを通っていたこともあり、私なりに調べて書いてみました。
一番詳しく書いていたのが「古隅田川」についてです。
この家康入府以前の江戸の大河について書きました。

江戸期以前の江戸の河川等についても興味があり、調べていました。
すると今とは全く違った東京(江戸)の姿が見えて来て楽しかったです。

江戸と言う所は水の都でして、
地名などにも水や川に関する名が多く残っています。

一昨日「とうきょうスカイツリー駅」について書きましたが、
この東武の駅の名前(以前の)を見ても解ると想います。

浅草ー業平橋ー曳舟ー玉ノ井ー鐘ヶ淵ー堀切ー と続きます。
ここまでは皆川や水に関係ある名前です。
・浅草はアイヌ語のアツアクサ(海を越すという意味)から来ています。
(聖なる所の意味もあり)
・業平橋は言わずもがなです。
・曳舟は曳舟川とも古上水堀とも呼ばれ隅田地区と亀梨地区を結ぶ
 生活用水路でしたが、高低に乏しく船が自力で航行出来ないので、
 岡から船を人が引いたのでこの名がつきました。
・玉ノ井はこの辺りは寺島と呼ばれていて、隅田川の湿地帯でした。
 その中の玉ノ井と言う地区の名から来ています。
・鐘ヶ淵は隅田川がこの辺で直角に曲り、これが大工の使う指矩
 (さしがね)に似ているところから「かねが淵」と呼ばれるように
 なったとも、台東区の石浜にあった普門院が亀戸村に移転する際、
 その梵鐘(ぼんしょう)が川に落ちたからだとも言われています。
・堀切は駅が出来た時は鉄道がもっと東にあり、現在の荒川の真ん中
 あたりかやや葛飾寄りにありました。
 正に堀切の街の入り口にありました。
 堀切と言う名はその昔ここにお城があり、その堀割を作った事から
 来ています。街の古い地名に城を意味する名が残っています。
 (関所を意味する”関”や”御城地”等)
 この堀割の水は古綾瀬川から引いたと思われます。

長々と書きましたが、歴史が在る名なんですねえ~
今日は落語とあんまり関係無い事をかきました。
あ、一つ書きますw
我が家の裏を通っている道ですが、荒川で寸断される前は、
三代目柳好師の「野ざらし」に出て来る多門寺の正門の前の道となって
続いていました。荒川を渡って多門寺の前の道を歩いて居ると、
道の感じがおんなじに感じましたw
「ここがあの多門寺か、ここの鐘が聴こえたのか!」
と思ったモノです。

こんな事かいてりゃ興味の無い人には読む価値も無いでしょうねw