はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

「鰍沢」を再考してみる

57『鰍沢』
今日は冬の噺でも大物と言える、三遊亭圓朝師作の「鰍沢」です。

【原話】
圓朝師が「酔狂連」の会合で「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の題で作った三題噺です。
原話は道具入り芝居噺として作られ、その幕切れは、「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、深きたくみに当たりしは、のちの話の種子島危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。まず今晩はこれぎり」
となっています。

【ストーリー】
身延山の参詣の帰りに大雪で道に迷った旅人が、山中の一軒家に宿を頼む。そこにいたのは妙齢の美人でした。
卵酒を勧められて話をするうち、お熊と名乗るその女が吉原の遊女であったことが分かります。

旅人は疲れて横になると、お熊は外に出ていって仕舞います。
そこに帰ってきたのがお熊の亭主、残された卵酒を飲んだのですが、苦しみ出します。
そこへお熊が帰って来て言うには、、旅人に毒入りの酒を飲ませて殺し金を奪い取る算段との事でした。
それを聴き、毒が回った身体で必死に逃げる旅人。
たまたま持ち合わせていた身延山の毒消しの護符を雪とともに飲み込み身体の自由が利くようになりましたが、そこへお熊が胸まである雪の中を鉄砲を持って追いかけて来ます。

吹雪の中、鰍沢の断崖に追い詰められ、もはやもうこれまでと思った時、雪崩が起こり旅人は谷底へ、運よく川につないであった筏に落ち、その反動で綱が切れ、筏は急流を下ります。
材木に掴まりお題目を旅人が唱えていると、お熊の放った鉄砲の弾が襲うが、近くの岩に当たり窮地を脱する。
「この、大難を逃れたも、お祖師さまのご利益。お材木(お題目)で助かった」

【演者】
何と言っても圓朝師の高弟で、名人と呼ばれた四代目橘家圓喬師が得意とし、その高座は伝説となっています。
八代目文楽師に「よると「今でも耳にこびりついているから、演れったてとても出来はしませんよ。特に急流のところでは本当に激 しい水の流れが見え、筏が一本になってしまうのも見えた。」
五代目志ん生師「さっきまで晴れていたのが雨音がする。『困ったな』と思ってたら師匠が鰍沢の急流を演ってた。」
 等枚挙にいとまがありません。
わずかにSPで残された圓喬師の音源を聴いても立て板に水な事は分かります。

【注目点】
やはりお熊との雪の中を追いかけっこする下りですかね。お熊の凄まじいばかりの気迫をどう表現するかでしょうね。

『能書』
この噺の最大の矛盾点について書きましょう。
最初に毒を飲んだ旅人が毒消しのお陰とは言え、蘇生したのに、後から飲んだ亭主が亡くなってしまうと言うのは何故なのか?
毒は底にあった方が濃いから重くなるのか?
そこがまいち判りませんね。
それから、胸まである雪の中を、体が満足に利かない旅人と女性でしかも鉄砲を持ったお熊が追いかけっこ出来るのでしょうか?
「まあ、そういう処を突っついてはイケないんだ!」
と、云われればそうなんですが……

『ネタ』
最初の疑問については、実はこの噺には続編がありまして、歌舞伎作者の黙阿弥が、「花火」「後家」「峠茶屋」
と言う題で三題噺を作りました。
正式な題は、「晦(みそか)の月の輪」と言うのだそうです。
筋は、毒から蘇生した亭主が、お熊と信濃・明神峠で追剥を働いているところへ、偶然旅人が通りかかり、
争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後ではあまり、演じられた形跡もなく、
芝居としての台本も無いそうです。
最近では柳家小満ん師が演じてくれていて、CDも出しています。師の熱演には申し訳無いのですが、正直、噺そのものが、それほどではありません。

「鼠穴」をもう一度考える

1115『鼠穴』
今日は古典落語の中でも一風変わった噺です。

【原話】
元は上方落語です。それが大正の始めに三代目三遊亭圓馬師が東京に持ち込みました。
兄弟の噺です。

【ストーリー】
江戸の兄を頼って、越後から弟が職探しに来ました。兄は、商いの元にと銭をくれたが、開けてみると三文しか入っていないません。
 馬鹿にするなと、一旦は腹を立てますが、思い留まり、これでさんだらぼっちを買ってサシを作って売り、
その利益で草鞋を作り、昼も夜も働き詰めで、十年後には店を構えるまでになりました。
三文の礼を言うために兄の元を訪れ、十年目の事を言うと、実は・・・・と訳を知り、二人で苦労話で盛り上がり、泊まることになりました。
 深夜、店が火事だとの知らせで慌てて帰ると、店が焼けています。
せめて蔵が残ってくれればと念じていたが、鼠穴から火が入ってすっかり焼けてしまいました。
兄にお金を借りに行きますが、相手にしてくれません。
「やはり兄は人の皮を被った鬼だ・・・」
 一文なしになった親に、娘のお花が「あたいを吉原に売って金を作れ」という。涙を流しながら金を借りたが、家に帰る途中掏摸にあって、持ち金をすっかり取られてしまった。
 途方に暮れて木の枝に帯をかけて自殺しようと・・・・・
「武、武、うなされてどうした」
「あ、夢か、おら鼠穴が気になって」
「無理もねえ、夢は土蔵(五臓)の疲れだ」

【演者】
やはり六代目圓生師が特筆されます。現役では小三治師ですね。個人的には立川談志師も良いと思います。

【注目点】
演じていていつも思うのは、兄の性格でしょうねえ。
三文しか弟に貸しませんでしたが、本当はどうだったのか?
それから、夢の中で借金を断ると言う事。
このあたりをどう表現するかで変わってきますね。
私は、三文のことはそのまま弟が納得してしまうこと等から思うに、かっては本当にそう云う事を平気でしていた人だったのだと思います。
借金を申し込まれても絶対に応じなかったのだと思います。
志の輔師等は、「自分はお前にいくら渡すべきか迷いに迷った。気がついたら3文渡していた」と言わせていて、
かなり迷った様な演出をしています。
大方は、「文句を言って来たら・・・」となっていますが、ここに嘘があるかも知れません。

『能書』
三戸前とは・・・
「戸前」は、土蔵の入口の戸を立てる場所の事で、蔵の数を数える数詞になりました。
「三戸前(みとまえ)」は蔵を三つ持つこと。蔵の数は金持ちの証でした。

『ネタ』
圓生師のを聴いてると兄は完全には弟を許していない感じがします。
談志師のは、そこまでは行かなくて、焦点が弟に合わされていることもあり、かなり情が有るように感じます。小三治師も同じ感じですね。
そんな処も聴きどころです。

「火事息子」をもう一度考える

image1122『火事息子』
今年も12月の中旬を過ぎようとしています。木枯らしも吹き。冬真っ盛りですね。そんな季節を感じさせてくれる噺です。
【原話】
かなり古くから演じられている噺です。
1801年の「笑いの友」の中の「恩愛」あたりか?
【ストーリー】
 神田の質屋の若旦那は子供の頃から火事が大好きで、火消しになりたくて頭の元へ頼みにいくが、ヤクザな家業には向かないと断られ、どこも引き受けてくれません。
仕方なく火消し屋敷に入り、手首の先まで入れ墨をして、当然家は勘当されます。
 質屋の近くで火事が発生し土蔵の目塗りをすることにしたが左官が来てくれないので、番頭が梯子に登り、素人細工をするがうまくいきません。
そこへ、屋根から屋根を飛び越えて臥煙が駆けつけて、手伝ってくれたので、やがて鎮火し、駆けつけてくれた臥煙にお礼をいうことになったが、何と実は勘当した息子でした。
 親父は冷たい態度を取りますが、母親は嬉しくって、結城の着物をあげようしますが、父親は捨てろといいます。
目の前に捨てれば拾っていくだろうとの親心。
「よく言ってくれなすった、箪笥ごと捨てましょう、お小遣いは千両も捨てて……」
しまいには、この子は小さいころから色白で黒が似合うから、
黒羽二重の紋付きを着せて、小僧を供に……
黒羽二重を着せてどこに行かせるのか、と父親。
火事のお陰で会えたのだから、火元にお礼に行かせましょう。

【演者】
この噺は「芝浜」と並んで三代目三木助師が得意とした噺です。他には六代目圓生師、八代目正蔵師が演じていました。
九代目文治師が正蔵師に稽古を付けて貰ったのに、圓生師の型で演じて居るのを見た正蔵師が尋ねると、文治師は「だって稲荷町のはつまらないから・・」と言ったそうです。
笑いの少ない人情噺的な噺です。

【注目点】
親子の情愛を描いた噺ですが、くどく無くお涙頂戴に溺れる事もなく、割合さらっとした演出ですが、番頭さんの気持ち、母親の気持ちそれに父親の情愛が交わって、味わい深い噺になっています。
初代圓右師がその名人ぶりを見せたそうですが、志ん生師や正蔵師、圓生師はきっと若い自分にその高座を見たのでしょうねえ・・・どのような高座だったか、気になりますね。

『能書』
徳三郎は町火消ではなく、臥煙(がえん)になりました。、
身分は旗本の抱え中間(武家奉公人)で、飯田橋のほか、10か所に火消屋敷という本拠がありました。
もっぱら大名、旗本屋敷のみの鎮火にあたり、平時は大部屋で起居して、一種の治外法権のもとに、
博徒を引き入れて賭博を開帳していたため、その命知らずとガラの悪さとともに、町民の評判は最悪でした。

『ネタ』
亡くなった古今亭志ん五師が若い頃の噺ですが、正蔵師と圓生師と両方から稽古を付けて貰ったので、その場、その場で使いわけていたのですが、ある時正蔵師に見つかってしまい、言い訳したそうです。
でも、その後でやはり「だって林家のは面白くないんだもの」と言ったとか。

「うどん屋」をもう一度考える!

20110403074726b89『うどん屋 』
今日は「うどん屋」と言う噺です。寒い冬の夜が連想されれば成功と言われている噺です。

【原話】
上方落語「かぜうどん」を明治期に三代目小さん師が東京に移植したもので、代々柳家の噺とされています。大正3年の二代目柳家つばめ師の速記では、酔っ払いがいったん食わずに行きかけるのを思い直してうどんを注文したあと、さんざんイチャモンを付けたあげく、七味唐辛子を全部ぶちまけてしまいます。
これを、昭和初期に六代目春風亭柳橋師が応用し、軍歌を歌いながらラーメンの上にコショウを全部かけてしまう、改作「支那そば屋」としてヒットさせました。

【ストーリー】
夜、市中を流して歩いていた、うどん屋を呼び止めたのはしたたかに酔った男。
「仕立屋の太兵衛を知っているか?」と言い出し、うどんやが知らないと答えると、問わず語りに昼間の出来事を話し出す。

 友達の太兵衛のひとり娘、みい坊が祝言を挙げた。あんなに小さかったみい坊が花嫁衣装に身を包み、立派な挨拶をしたので胸がいっぱいになった・・・。うどんやが相づちを打つのをいいことに、酔客は同じ話を繰り返すと、水だけ飲んでどこかに行ってしまう。
 ただで水だけ飲まれたうどんや、気を取り直して再び町を流すと、今度は家の中から声が掛かるが、
「赤ん坊が寝たところだから静かにして」
 でかい声はだめだ、番頭さんが内緒で店の衆に御馳走してやるってんで、ヒソヒソ声で注文するのが大口になるんだと思った矢先、ヒソヒソ声で、鍋焼きの注文。
 こりゃ当たりだなと、ヒソヒソ声で「さぁどうぞ」客が食べ終わって、勘定のときに
「うどん屋さんも風邪ひいたのかい」

【演者】
八代目可楽師、五代目小さん師、現役では小三治師が素晴らしいです。

【注目点】
鍋焼きうどんといえば、天ぷらに卵野菜などがたくさん入ったものを考えますが、
この落語に出てくる鍋焼きうどんは、、かけうどんを鍋で煮こんだモノの様です。
三代目小さん師が初めてこの噺を演じたときの題は、「鍋焼うどん」という題でした。
全編を通して、江戸の夜の静寂、寒さが大事な噺でもあり、小さん師はよくその情景を表しています。
今日の音源で特筆なのは、小さん師のうどんをすする音に”注耳”して下さい。
確実に蕎麦とうどんの食べ分けが出来ています。正に名人芸ですね。

『能書』
昔は商家などに努めていた者は夜にお腹が空いた時などにこのようなうどん屋や蕎麦屋を呼び止めて奉公している者に食べさせた事があったそうです。そんな時は一件で完売となったそうです。

『ネタ』
個人的な思い出を・・・晩年、脳梗塞で倒れられてからの小さん師匠はハッキリいって往年の芸は蘇りませんでした。
でも、ある時、寄席で飛び入りで師匠が出演したのです。
この頃、たまに、そんな事があるというウワサは聞いていましたが、まさか自分が行った時に当るとは思ってもみませんでした、
その時演じたのがこの噺でした。
前半は、この頃の感じであまり感情が入らない口調でしたが、後半からは乗ってきました。
そして、うどんを食べるシーンで、「ふっ、ふー」と冷ます処で私は鳥肌が立ってしまいました。
たったそれだけで、寄席を深夜の冬の街角にしてしまったのです。
恐れ入りました、ホント、凄かったです。
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