はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

寄席で聴きたい  三遊亭遊雀師

mmwae4000026092008_3_0_e4落語協会の噺家さんが続きましたので、今回は落語芸術協会の噺家さんです
かって権太楼師の弟子だった遊雀師です。

【三遊亭遊雀】
1988年2月 - 落語協会の3代目柳家権太楼の下に入門。前座名「さん太」。
1991年10月 - 二つ目に昇進。「三太楼」に改名。
平成7年「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞を受賞(演目:『反対俥』)。
2001年9月 - 真打昇進。
2006年 - 平成17年度彩の国落語大賞を受賞(演目:『初天神』
 とここまでは前途有望でその将来を嘱望されていたのですが、先日紹介した権太楼師と意見の食い違いが表面化して、一門を離れました。
 その後、笑点でおなじみの三遊亭小遊三師の一門に移籍します。
2006年10月 - 落語芸術協会の三遊亭小遊三門下に移籍。「遊雀」と改名。

出囃子  『粟餅』

【芸風】
 移籍する前は地味でしたが本格派で、玄人受けする噺家さんでしたが、移籍後は一皮むけて、狂気すら感じさせる芸風に変わりました。
 兎に角楽しい高座です。
【得意演目】
 『強情灸』『熊の皮』『堪忍袋』『真田小僧』『反対俥』他多数
【エピソード】
あくまでも噂ですが、本来、」かなり酒癖が良くないそうです。酒乱の傾向もあるとか?
酔っ払って灰皿で権太楼師匠の頭を殴ったとか言う話です。
移籍後に和解したのか、権太楼師の会にゲストで出演しましたね。
その辺も面白いです。

【ネタ】
その復帰のことですが、昇太師の会で復帰しました。その時の昇太師の口上です。
「私は落語芸術協会監事という重職を務めているのですが、最近、我が落語芸術協会にとっても嬉しいことがありました」と、“本日のスペシャル・ゲスト”遊雀を紹介。「ほんとはこんなに早い復帰は異例なんです。ところが彼に対しては落語協会もこちらの協会も、少しでも早く復帰させてやろうと、みんなが尽力したんですね。それは彼の芸が落語界に必要だと、みんなが認めているということなんです。そこで、今日、彼の三遊亭遊雀としての初高座を、僕の会でやってもらうことにしました」

それだけの人材だったと言う事ですね。是非、寄席でその狂気の高座を体験して下さい!

寄席で聴きたい  柳家権太楼師

 gontarou1今日は権太楼師匠です。当代は三代目ですが、初代は戦前から戦後の時代に一世を風靡しました。「猫と金魚」などで有名でした。
 二代目は、襲名して湯河原の旅館の主になってしまいました。その為、当代は、名前を300万で買ったと言う噂です。
 元々、名前を貰うと言う事は先代の生活の面倒を一切見る。と言う事だったそうです。今では、そんな風習は薄れましたが、先代の法事を行うのは当然だそうです。

1,970年 5代目柳家つばめに入門  ほたる(1970年 - 1974年)
1974年 師匠が亡くなったので、5代目柳家小さん一門に移る さん光
1982年 3代目柳家権太楼を襲名して真打昇進

【芸風】
 本格的な古典落語を演じますが、その内容も他の人とは、ちょっと変わっています。
 自分で噺を構築し直して口演します。その為、噺によっては登場人物が違っている時もあります。それでも、多くのファンが居て、寄席では抜群の人気を誇ります。
 
【得意演目】
代書屋、長短、不動坊、火焔太鼓、三枚起請他多数


【エピソード】
 腎臓がんを経験しましたが、見事にカムバックしました。

【健二のネタ】
その時の事ですが……
幕が上がると権太楼師がマスクをしたまま高座に上がったそうです。
そして次の事を話ました。
 
昨年(2010年)11月に腎臓にガンが見つかった事。
今年(2011年)1月に片方の腎臓を手術で除去し、3月に医者に勧められて抗ガン剤治療を1週間入院して行い、放射線治療も受けた事。
 今は通院になったそうですが、放射線と抗がん剤治療した事で
「白血球が減っているので人前に出る時はマスクを必ずする事」
 と医者に言われているそうです。そして
「マスクして、百年目は出来ないでしょう!」
と言って、会場は緊張が緩んで大爆笑だったそうです。
高座を降りる時は凄い拍手だったそうです。

寄席で聴きたい 古今亭志ん輔師

 shinsuke2今日は志ん朝師匠のお弟子さんで、寄席に良く出ている古今亭志ん輔師匠です。
1972年3月に3代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。
1977年3月に二つ目に昇進。師匠志ん朝の前名古今亭朝太に改名。
1985年9月に真打に昇進して志ん輔を襲名
 早くから将来を嘱望されていました。
出囃子 は「越後獅子」です。

【芸風】
 師匠の志ん朝師の芸風を良く受け継いでいます。単に受け継いでいるだけではなく、自分の個性を加味しているのは言う間でもありません。明るく陽気で、少し惚けた芸風が寄席の空気を明るいものに変えてくれます。

【得意演目】
 師匠同様幅広いですが、寄席でよく演じるのは「紙入れ」「替り目」「犬の災難」
 「豊竹屋」「夕立勘五郎」他多数

【エピソード】
 若手の育成に力を入れていて、自身でも「たまごの会」という会を作り協会に関係無く門戸を開いている。また神田に「連雀亭」という二つ目専門の寄席を拵え(協力者あり)これも広く開放している。(運営は二つ目に任せている)

【健二のネタ】
弟子になった頃はそれだけで目的が達した様な気分になり、あらゆる面で師匠の真似ばかりしていたそうです。
その時は何も言われなかったが、真打になって色々な事を言われる様になり。大変ありがたかったと……
弟子を持って判る事は如何に自分に弟子に伝えられる事が無いかを実感したことだそうです。
もう、師匠は亡くなってるから恩返しがしたくても出来無いので、その分噺を一つ一つ完成させて行く事だと
思いそして後輩達に自分が出来るかぎりの事をして恩返しをしたいと語っていました。

また、以前の事ですが、寄席や落語会で噺をしていると、突然、師匠の志ん朝師が降りて来たりしたそうです。

寄席で聴きたい 春風亭一朝師

40175967f970c1b3bace0339e6f34c15今回からは寄席によく出演していて、寄席ならではの芸を見せてくれる噺家さんを取り上げたいと思います。
まずは春風亭一朝師です。

【春風亭一朝】 1950年12月10日生まれ
・1968年3月 五代目春風亭柳朝に入門。
・1970年4月 前座になる。名は朝太郎。
1973年9月 二つ目昇進し、一朝に改名。
この名前は大師匠正蔵が、若い頃に世話になった三遊亭一朝の名前を与えたもので、最初は正蔵の所にに入門志願に来たのを当時更に弟子を取る余裕が無かった為、一番弟子の柳朝を世話したから、自分が世話になり、また晩年は逆に世話をした一朝の名前を与えたそうです。
・1980年3月 弟弟子春風亭小朝が一朝よりも先に真打昇進する。この時はかなりショックだったみたいですね。
・1982年12月 真打昇進。師匠柳朝師が脳梗塞に倒れる。このため真打昇進披露に師匠の柳朝師は出席出来ませんでした。

【芸風】
何と言っても、江戸前の噺をする本格派です。それでいて、笑いの多い噺も得意です。安心して聴いていられる噺家さんの一人です。

【得意演目】
片棒、二番煎じ、花見の仇討、大山詣り、青菜、目黒のさんま、尻餅 他多数

【エピソード】
弟子の育成には定評があり、一番弟子は六代目柳朝を襲名しています。また二番弟子は今や将来を嘱望されている一之輔師です。

【ネタ】
柳朝師の「江戸前」の芸風を見事に受け継いでいます。啖呵を切る威勢の良さは天下一品、「江戸っ子」を演じたらこれほど似合う噺家も珍しいですね。まさに「粋でいなせな江戸落語」の典型だと思います。これを見ると、芸と言うものが確実に弟子に受け継がれて行くものだと実感出来ます。
記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ