はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

落語と料理

今日、病院に行って来ました。
角膜の剥離した所はほぼ完全に塞がったそうです。
これからは、水晶体の濁りを取り除く方へ重点が置かれるそうです。
しかし、濁りは完全には取り除けないだろうと言う事でした。
角膜ヘルペスの薬で良くなったのに、培養検査からはヘルペスが
検出されなかったそうです。担当の医師の他にも何人かの医師に
見て貰ったのですが、全員はっきりとは原因がわからず、ある医師は
冗談で、「なにか取り付いたみたいだね」と言う始末で、
担当の医師は「ヘルペスの薬で回復したのだから」とあくまでも
”角膜ヘルペスである”と言う立場でした。完治は遠いなあ・・・

さて
落語には色々な料理や食べ物が出て来ますが、
同じ食べ物でも、江戸時代と今では食べ方が随分違う物があります。
たとえば、「鰹」です
当時は、和辛子をつけて食べていました。辛子の辛さを謳った川柳等も残っています。
今は生姜かニンニクでしょう。一度試した事がありましたが私の口には合いませんでした。
 河豚等も当時は味噌汁にしていた様で、刺身で食べる事は江戸では無かった様です。
 
また、味覚等も今とは少し違っていた様で、落語「百川」で有名な百川が、
幕末にぺりー一行に供応の料理を出したのは有名ですが、当時の献立を今見ると、
正直あまりご馳走の感じはしません。
その献立の中で、一つだけ感心を引くものがありました。
柿の味醂掛け回しと言うモノで、果物の柿の皮を剥いて、一口に切り味醂を掛けて食べる
と言う料理で、作家の池波正太郎さんも、絶賛していました。
私も試しに作って食べましたが、正直、”結構いける”と思いました。
只、現代の味覚ではなく、もっと古いなにかを呼び覚ませる様な感覚でした。
 興味のある方は試しては?甘いのに酒の肴に丁度良いと思います。
まあ、日本料理は全て酒の肴としての料理なんですよね。おかずではなく

矢野誠一さんのこと

ccfa660c.jpgこの前、お席亭が、矢野誠一さんの本を読んでいると生でコメントされてましたが、
私も矢野さんの本は随分読みました。
矢野さんといえば、精選落語会の主催者で当時のメンバーの選び方の時のエピソードが、書いてあったのが印象的でした。

精選落語会のメンバーは当初

* 8代目桂文楽
* 6代目三遊亭圓生
* 林家彦六
* 8代目三笑亭可楽
* 5代目柳家小さん
 の五人で、この時志ん生師はまだ病の床でした。志ん生命の矢野さんは残念がっていたそうで、復帰後には数多く出演しています。
 この時、三代目の金馬さんが呼ばれなかった事に、文楽、圓生、彦六の各師が訝ったと
言います。「なぜ、この場に金馬さんが居ないのですか?」と言われ、
冷や汗を書いたと。自分の思う以上に金馬さんが評価されて居るのに驚いたと。
また、後年金馬さんが亡くなった時、もっと聞いておけば良かったと後悔したそうです。

子供の頃、金馬師匠の写真を見て”歯が出ているので金歯か”と思ってましたw

二朝会のこと

3d6c4614.bmp一昨日、二朝会の音源を上げたのですが、昭和49年と書きました。
ラジオを放送時にそう言ってたのですが、
資料で調べてみると、49年は4/23,10/31の二回しか開催されておらず、
しかもこの年で終わっています。
演目は4月が志ん朝師のみですが、「紺屋高尾」「長屋の花見」で、
面白い事に「幾代餅」では無いのですね。
10月は「崇徳院」の一席のみなので、きっとこの日に茶番劇を演じたのだと思われます。
柳朝師の演目が解らないんですよねえ。「江戸前の男」に少し書いてあったけど・・・
イイノホール以外にも「二朝会」の名で地方公演も随分行ったそうです。
大坂では、「関東二朝会」と染め抜いた半被を肩に掛け、
南場や北の新地を廻ったとか。ニコに使った写真も地方営業のものです。

完治は当分先

昨日、病院に行きまして見て貰った処、欠損の部分は大分復元しつつある。との診断で、もう少し掛かる様です。炎症も大分治まってきました。
 只、水晶体が炎症が酷かったので、濁ってしまったので、傷の治療が終わったら、水晶体の濁りを無くす治療に掛かるとの事でした。
これには、ステロイド薬を使う様です。濁りが在ると視力が回復しないので、辛いなあ・・・
 生放送で、youtubeからの動画の輸入のやり方をコミュの掲示板に書きました。わかるかなぁ・・・書き方がヘタなもんで。
こちらの方へコメントして下さっても結構ですよ。解る範囲で答えさしてもらいます。
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