はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

「かつぎや」という噺

ebe801d2『かつぎや 』
皆様、あけましておめでとうございます! 本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。
 昨年もこの噺を取り上げたのですが、今年も取り上げます。と言うよりお正月のそれも三ヶ日だけしか出せない噺ですね。

【原話】
原典は、寛永5(1628)年刊の安楽庵策伝著「醒睡笑」巻一の、「祝ひ過ぎるも異なもの」と題した一連の小咄とみられます。
古くは、円朝師の速記もあります。明治22年の二代目柳家小さん師の速記では「かつぎや五平」と題していますが、これは、「御幣かつぎ(=縁起かつぎ)」のシャレでしょう。
上方では「正月丁稚」と言います。

【ストーリー】
呉服屋の五兵衛旦那は、大変な縁起かつぎ。正月元旦ともなると、縁起かつぎもすさまじいのです。
 下働きの清蔵を呼ぶと「まずは井戸神様にダイダイを入れて和歌を供えて若水を汲んでおくれ」と言いつけ和歌を教えます。
「新玉の 年とちかえる あしたより 若柳水を 汲み初めにけり。
 ところが、こう教えられた清蔵は、「目の玉の でんぐり返る あしたより 末期の水を 汲み初めにけり。 これは、わざっとお人魂。」とやらかします。
 怒った五兵衛旦那は清蔵にクビを言い渡す。清蔵は「ついでだから後九日置いてれ、丁度三十五日になるから・・・」。
 庭に降りて頭を下げる清蔵に、五兵衛旦那が「お前は何をしてるんだ。」と聞くと、「草葉の陰から手を合わせている。」
 早桶屋の白兵衛がやってきました。「正月はそんなにめでたくはないよ、一休さんも『門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と言っています。
 縁起の悪い事をさんざん言って、歌を唄います「五兵衛さんの家の周りを福の神が取り巻いた」。
 機嫌を直しましたが、これには下の句があるという「これじゃぁ〜、貧乏神が出られない〜」。
 店の者とお雑煮を食べ始めると餅の中から釘が出ました。定どんが
「旦那、縁起がいいです。餅の中からカネが出たので金持ちになります」。
小遣いを増やしてもらう定どんに清蔵は「身代は持ちかねる」と悪態をつきます。

 さて、そうこうするうち、二日の晩、お宝船売りがやって来ました。番頭に声をかけさせ、お宝船売りを呼び込むと、一枚四(し)文、十枚で四十(しじゅう)文というので、縁起でもないといって追い返します。
 次にやってきた宝船売りに番頭が、
「うちの旦那は大変な縁起かつぎだから…。」と言って入れ知恵をする。宝船売りは、店に入るやいなや、「お宝の入り船です」と言う。
 五兵衛旦那は喜んで、全部買うという。「何枚あるんだ」と聞くと、「へい、旦那の年ほどもございます。」
「何枚だ」
「千万枚でございます。」
 五兵衛は、縁起がいいと大喜び、しかも酒をを勧めると
「亀の子のように・・・」。
 酒を注ぐと
「黄金色のよう・・・」
「こんなイイ酒で酔うと宝船に乗っているようだ」
 喜んだ五兵衛旦那、
「いつでも遊びにおいで」、で、「何処に住んでいますか」
「本郷の蓬莱町にいましたが浅草寿町に、そこから下谷の長者町に移りました」
「それ以上引越させないでください」
 その都度ご祝儀をはずんでもらい、反物まで貰いました。
 宝船売りは、ご機嫌になり
「旦那の姿は大黒様、美しいお嬢様は弁天様。七福神がお揃いで、おめでとうございます」と帰りかけた。五兵衛が「それじゃぁ、二福じゃないか。」と言うと、
「いいえ、それでよろしいのです。ご商売が、呉服(五福)でございます。」

【演者】
お正月に寄席に行くとかなりの噺家がこの噺を演じます。特に柳家の噺家さんが多い様な気がします。

【注目点】
兎に角、おめでたい言葉が沢山出て来ます。それだけの噺なのですが、昔から人々がお正月に対してどんな思いを抱いていたのかが判ります。

『能書』
その昔は正月になると、宝船売りが、七福神の乗った船の図に、廻文歌
「長き夜のとをのねぶりの皆目覚め波のりぶねの音のよきかな」を書き添えた刷り物を売り歩きました。
上から読んでも下から読んでも同じですね。
正月二日の夜、これを枕の下に引き、吉夢の初夢を見るようにとのまじないでした。

『ネタ』
江戸には古くから、元旦には箒(ほうき)を持たない(=掃除をしない)慣習がありました。
明和2(1765)年刊のの「川柳評万句合勝句刷」に「箒持つ下女は叱られはじめをし」とあります。
サゲは今は「和服」と言う呼び方が一般的な着物ですが、昔は「呉服」と呼びました。それが判らないとサゲが判らないですね。

「火事息子」という噺

e19-31wa-DSC_3164『火事息子』
年末の噺「芝浜」「掛取萬歳」「尻餅」を取り上げようと思ったのですが昨年取り上げているので、昨年取り上げていない噺にしました。
本年もお世話になりました。皆様に良い年が訪れましょうに……。
来年もよろしくお願い致します。
【原話】
かなり古くから演じられている噺です。
1801年の「笑いの友」の中の「恩愛」あたりか? 色々な所に似たような話しがあるそうです。
【ストーリー】
 神田の質屋の若旦那は子供の頃から火事が大好きで、火消しになりたくて頭の元へ頼みにいくが、ヤクザな家業には向かないと断られ、どこも引き受けてくれません。
仕方なく火消し屋敷に入り、手首の先まで入れ墨をして、当然家は勘当されます。
 質屋の近くで火事が発生し土蔵の目塗りをすることにしたが左官が来てくれないので、番頭が梯子に登り、素人細工をするがうまくいきません。
そこへ、屋根から屋根を飛び越えて臥煙が駆けつけて、手伝ってくれたので、やがて鎮火し、駆けつけてくれた臥煙にお礼をいうことになったが、何と実は勘当した息子でした。
 親父は冷たい態度を取りますが、母親は嬉しくって、結城の着物をあげようしますが、父親は捨てろといいます。
目の前に捨てれば拾っていくだろうとの親心。
「よく言ってくれなすった、箪笥ごと捨てましょう、お小遣いは千両も捨てて……」
しまいには、この子は小さいころから色白で黒が似合うから、
黒羽二重の紋付きを着せて、小僧を供に……
黒羽二重を着せてどこに行かせるのか、と父親。
火事のお陰で会えたのだから、火元にお礼に行かせましょう。

【演者】
この噺は「芝浜」と並んで三代目三木助師が得意とした噺です。他には六代目圓生師、八代目正蔵師が演じていました。
九代目文治師が正蔵師に稽古を付けて貰ったのに、圓生師の型で演じて居るのを見た正蔵師が尋ねると、文治師は「だって稲荷町のはつまらないから」と言ったそうです。笑いの少ない人情噺的な噺です。志ん朝も演じていましたね。

【注目点】
親子の情愛を描いた噺ですが、くどく無くお涙頂戴に溺れる事もなく、割合さらっとした演出ですが、番頭さんの気持ち、母親の気持ちそれに父親の情愛が交わって、味わい深い噺になっています。
初代圓右師がその名人ぶりを見せたそうですが、志ん生師や正蔵師、圓生師はきっと若い自分にその高座を見たのでしょうね。どのような高座だったか、気になりますね。

『能書』
徳三郎は町火消ではなく、臥煙(がえん)になりました。、
身分は旗本の抱え中間(武家奉公人)で、飯田橋のほか、10か所に火消屋敷という本拠がありました。
もっぱら大名、旗本屋敷のみの鎮火にあたり、平時は大部屋で起居して、一種の治外法権のもとに、
博徒を引き入れて賭博を開帳していたため、その命知らずとガラの悪さとともに、町民の評判は最悪でした。

『ネタ』
亡くなった古今亭志ん五師が若い頃の噺ですが、正蔵師と圓生師と両方から稽古を付けて貰ったので、その場、その場で使いわけていたのですが、ある時正蔵師に見つかってしまい、言い訳したそうです。
でも、その後でやはり「だって林家のは面白くないんだもの」と言ったとか。

「言い訳座頭」という噺

img_01『言い訳座頭』
「言訳座頭」とも書きます。

【原話】
四代目橘家円喬師から「催促座頭」という噺があるのを聞き、それと反対の噺をと思いついたと言われています。三代目小さん師から七代目可楽師に伝わりました。

【ストーリー】
長屋の甚兵衛夫婦は借金が溜まってどうにもなりません。
大晦日、かみさんが、口の旨い座頭の富市に頼んで、借金取りを撃退してもらうほかはないと言うので、甚兵衛はなけなしの一円を持って早速頼みに行来ます。
富市は、最初は金でも借りに来たのかと勘違いして渋い顔をしましたが、色々と訳を聞くと
「米屋でも酒屋でも、決まった店から買っているのなら義理のいい借金だ。それじゃああたしが断ってあげよう」
 と、快く引き受けてくれることになります。
「商人は忙しいから、あたしがおまえさんの家で待っていて断るのは無駄足をさせて気の毒だから」
 と、直接店に乗り込もうという寸法。富市は
「万事あたしが言うから、おまえさんは一言も口をきかないように」
とくれぐれも注意して、二人はまず米屋の大和屋に出かけて行来ます。
 大和屋の主人は、有名なしみったれ。富市が頼み込むと、
「今日の夕方にはなんとかすると夫婦揃って約束したじゃないか。だから待てない」
と、断られます。 でも富市は居直って
「たとえそうでも、貧乏人で、逆さにしても払えないところから取ろうというのは理不尽だ。こうなったら、ウンというまで帰らねえ」
と、店先に座り込みます。 他の客の手前、大和屋も困ってしまい、来春まで待つことになりました。
 次は炭屋さんです。ここは富市が始終揉み療治に行くので懇意だから、やりにくいとこぼします。しかも親父は名うての頑固一徹。ここでは強行突破で、散々炭にケチをつけて
「どうしても待てないというなら、頼まれた甚さんに申し訳が立たないから、あたしこここで殺せ、さあ殺しゃあがれ」
 と、往来に向かってどなる。挙げ句、人殺しだとわめくので、
周りはたちまちの人だかり。炭屋は外聞が悪いのでついに降参。 次は魚屋です。
 これはけんかっ早いから、薪屋のような手は使えない。
「さあ殺せ」なんて言えば、すぐ殺されてしまいます。こういう奴は下手に出るに限る
というので、
「実は甚兵衛さんが貧乏で飢え死にしかかっているが、たった一つの心残りは、魚金の親方への借金で、これを返さなければ死んでも死にきれない
と、うわ言のように言っている」
 と泣き落としで持ちかけ、これも成功。ところが、
その当の甚兵衛が目の前にいるので、魚屋
「患ってるにしちゃあ、馬鹿に顔色がいい」
 と皮肉たっぷり言いますので、さすがの富市も慌てて、
「熱っぽいから火照っている」
 とシドロモドロでやっと誤魔化します。
そうこうするうちに、除夜の鐘。ぼーん。富市は急に、
「すまないが、あたしはこれで帰るから」
 と言い出します。
「まだ三軒ばかりあるよ」
「そうしちゃあいられねえんだ。これから家へ帰って自分の言い訳をしなくちゃならねえ」

【演者】
柳家の噺ですね。「睨み返し」等と並んで暮れの噺ですね。

【注目点】
本来は男ばかりの出演者だが五代目小さん師が酒屋の女将さんを登場するように工夫したそうです。高座によってはそのバージョンで演じた事もあるそうです。その方が噺が柔らかくなると考えたそうです。

『能書』
江戸時代、座頭が「座頭金」という高利貸し許されていましたが、返済が滞ると座頭が集団で押し掛けたそうです。これを「催促座頭」と言ったそうです。

『ネタ』
座頭の「市」は盲人の最下級の位で、古くは「都」とか単に「一」と書いたそうです。
一両を本所の総録屋敷に収めると名乗れたそうです。

「包丁」という噺

h1de0195『包丁』
 季節的にはどうかと思いますが年末の噺まで、未だ間があるので取り上げました。

【原話】
上方落語「包丁間男」を明治期に東京に移したもので、移植者は三代目円馬師とされます。
ただ、明治31年11月の四代目左楽師の速記が残っていて、この年円馬師はまだ16歳なので、この説は?です。
左楽師は「出刃包丁」の題で演じていますが、明治期までは東京での演題は「えびっちゃま」と言ったそうです。

【ストーリー】
 寅さんは久治と呼ばれる兄貴に呼ばれます、弟分の寅さんは兄貴には頭が上がりません。
兄貴は清元の師匠をしている”おあき”さんに面倒をみてもらっているのです。
鰻をご馳走してもらって、ノロケを聞くと、儲けさすという。
 兄貴は清元の師匠も良いが、他に若い女が出来たので、芝居を打ってほしいと言います。
「俺の家に行って、兄貴が帰ってくるまで待たして欲しいと言って、上がり込む。酒は出すような女でないから、お土産だと言って1本下げていって、湯飲みを借りて飲み始め、ツマミは出さないだろうから、鼠入らずの右側の上から2段目に佃煮が入っているからそれで飲ってくれ。香こが台所のあげ板の3枚目を開けるとヌカ漬けのキウリが入っているから、それで飲んでくれ」、
「初めて行った家で香こを出すのはおかしくないか」、
「そんなことは気にしないで、3杯ぐらい飲んだら女の袖を引いてその気にさせたところで、俺が出刃包丁を持ってガラッと入っていく。啖呵を切って畳に出刃包丁をさしている間に、お前はズラかってしまい、その後に女を地方に売り飛ばしてしまう。その金を二人で山分けにする。どうだ!」
などと大変な相談です。
 その足で、兄貴の家に乗り込み、当然いないので上がって待つことになりました。
お茶を入れるからと言うので、持参の酒の封を切り、肴がないと言うので鼠入らずから佃煮を出しました。
「旨いね。鮒佐の佃煮は、やはり兄貴は口がおごっている」
師匠に勧めたが、取り付くしまがありません。
漬物を所望したが頭から断られたので自分で出し、師匠はビックリしていたが、刻んでまた飲み始めました。
 歌を唄いながら、師匠に手を伸ばすが、身持ちの堅い師匠にピシャリと叩かれたが、それに懲りずに手を出したらドスンと芯まで響くほど叩かれました。
「ヤナ男だよ。酒を飲んでいるから我慢をしてたら、つけあがって。ダボハゼみたいな顔をして女を口説く面か」
寅さんも切れて、一部始終の経緯をぶちまけてしまった。「佃煮や香この場所が分かるのは教わって来たからだ」
 師匠は事情が飲み込めたので、「あいつが来たら追い出すから、アンタも加勢してください。女の口から言うのもなんですが、嫌でなかったら私と一緒になって下さい」
「そんなこと言ったってダメだよ、さっきダボハゼって言ったじゃないか」
「それは事情が分からなかったからで、あいつの為に上から下まで揃えてやって、世話もしたのに売り払うなんて、そんな男に愛想が尽きた」
「そ〜ですとも。だいたいあいつは良くない」
 「新しい着物を作ってあるから着替えてください。お酒もあるし。お刺身も出しますから」
気持ちよく飲んでいるとこに、久治が覗きに来て「あいつはお芝居がうめ〜や。あんな堅い女に酌をさせて」
 ガラッと開けて、「やいやい。亭主の面に泥を塗りやがって」、「だめだダメだ。ネタは割れているんだから」
おあきさんはさんざん久治に毒付いて追い出してしまいます。
 二人で飲み始めたが、格子をガラッと開けて、また久治が戻ってきた。
「出刃包丁を出せ!」。
「誰かに知恵でも付けられて来たのか。お前が悪巧みするから話がひっくり返ってしまったんだ。いいから、包丁出してやれ。久治、四つにでも切ろうと言うのか」。
「いや、魚屋に返しに行くんだ」

【演者】
戦後では六代目円生師、五代目志ん生師の二名人が得意としました。
と書きましたが、志ん生師の音源は無いそうです。
聴いてみたいですね。

【注目点】
本来は音曲噺で、噺の中で唄が入ります。常さんが良い気持ちになって歌う処ですね。
私なんかはこの噺を聴くと、「駒長」と似てるなぁと感じてしまいます。

『能書』
志ん生師の噺は十代目馬生師に受け継がれました。

『ネタ』
立川談志師ですが、昭和49年の第六十七回「ひとり会」では、「包丁」のネタ出しをしておきながら、自身納得のいく仕上がりにならなかったため、「本物の『包丁』をお聞かせします」と言って、六代目圓生師に演じてもらったという伝説があります。
その後自分でもCDに残しています。
弟子では談春さんが受け継いでいます。

追伸……四代目三遊亭小圓朝師がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り致します。 49歳は若いですね……。
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