はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

「味噌蔵」という噺

ef2b762d寒くなって参りました。大寒ももうすぐですね。という訳でこの噺です。
『味噌蔵』
木枯らしが吹く頃のケチンボさんのお噺です。そのしみったれが笑いを誘います。

【原話】
1736年頃の「軽口大矢数」に載っている米澤彦八作「田楽の取り違へ」が元のお噺です。

【ストーリー】
驚異的なしみったれで名高い、味噌屋の主人の吝嗇(しわい)屋ケチ兵衛さん。
嫁などもらって、まして子供ができれば経費がかかってしかたがないと、いまだに独り身。

心配した親類一同が、どうしてもお内儀さんを持たないなら、今後一切付き合いを断る、商売の取引もしない、と脅したので、泣く泣く嫁を取りました。
赤ん坊ができるのが嫌さに、婚礼の晩から新妻を二階に上げっぱなしで、自分は冬の最中だというのに、薄っぺらい掛け蒲団一枚で震えながら寝ります。
が、どうにもがまんできなくなり、二階の嫁さんのところに温まりに通ったのが運の尽き。
たちまち腹の中に、その温まりの塊ができてしまいました。

 妊娠した嫁を里に返し、出産費用を節約する等をして節約します。
やがて男の子が生まれ、嫁の里に行くことになりました。
火の始末にはくれぐれも注意し、貰い火を受けたら味噌で目張りをしてでも、財産の味噌蔵だけは守るようにと言い残して出掛けます。

旦那が泊まりの隙に、帳簿をごまかして宴会をやろうと皆で番頭に言って、刺身や寿司などを取り寄せます。
近所の豆腐屋には、冷めると不味いから、焼けた順に少しずつ持って来るように味噌焼き田楽を注文します。

 宴たけなわの所へ、旦那が戻って来たからたまりません。カンカンに怒り、全員生涯無給で奉公させると言い、酔っ払いを寝かせます。
 そこへドンドンと戸を叩く音。外から「焼けて来ました」の声。「え、火事だよ、どこだい」「横町の豆腐屋です四、五丁焼けましたが、あとどんどん参ります」驚いて旦那が戸を開けると、プーンと味噌の焼ける匂い。
「こりゃいかん、味噌蔵に火が入った」

【演者】
昭和の噺家さんなら三代目桂三木助師が有名です。赤螺屋の旦那が特に良いですね。
噺の中に現代的なクスグリを入れて、受けました。又八代目三笑亭可楽師も有名です。ぼやくようなつぶやきが楽しいです。
柳家小三治師も良いですね。こちらは店の者の視点に立って語られています。それも面白いと思います。

【注目点】
やはり旦那が出先から帰って来るシーンですね。それまで店の者の馬鹿騒ぎのシーンから一転して木枯らしが吹く夜の江戸の街に場面が切り替わります、ここを上手に演じられるか? ですね。

『能書』
噺の中で、火事の時、味噌で蔵に目塗りをすると言う下りですが、非常時には実際あったそうです。最も後でそれを剥がしてオカズにする事は無かったそうです。

『ネタ』
口うるさい上司にその言うことを聞かなければならない部下という風に設定を置き換えて聞けば、身にしみて感じる人も多いかも知れませんね。
日頃の鬱憤を晴らす部下の抵抗は、どの時代にでもあったと言う事ですね。
前回の「二番煎じ」も火事の噺です。これもそうですが、如何に江戸と言う所は火事が多かったかと言う事ですね。

「二番煎じ」という噺

206c91bb「季節も「小寒」に入りまして、これから暫くが一番寒い季節になります。インフルエンザが猛威を奮っているそうですが、くれぐれもお気をつけ下さい。と言う訳でこの噺です。
『二番煎じ 』
 寒くなって来ましたらやはり鍋が恋しくなりますね。そんなお噺です。

【原話】
元禄3年(1690年)に出版された江戸の小咄本『鹿の子ばなし』に掲載された「花見の薬」を上方で同時期に改作し、夜回りの話とした『軽口はなし』の「煎じやう常の如く」だそうです。
大正時代に五代目三遊亭圓生師が東京へ移したといわれています。
上方では初代、二代目桂春團治師、二代目露の五郎兵衛師らが、東京では、六代目柳橋先生や八代目可楽師らが得意としました。

【ストーリー】
町内の旦那衆が火事を防ぐため、火の番の夜回りをすることになりました。
番小屋に集まり、集まった顔ぶれを二組に分け、交代で町内の見廻りをはじめます。
凍てつくような江戸の冬。金棒は冷たくて握れず、拍子木を打つのに懐から手を出すのも一苦労。
「火の用心」の声も北風に震えるようです。やがて番小屋に戻り、囲炉裏を囲む旦那衆。

すると、禁じられている酒を持ってきた人がいたり、猪鍋の用意をしてきた者がいたりします。
役人に見つかると面倒なため、酒を土瓶に移し、煎じ薬と称してそっと宴をはじめます。
猪鍋で楽しく酒を飲んでいると、番小屋の戸をたたく音がする。役人が見回りに来たのです!
一同はあわてて酒や鍋を隠し、役人を迎え入れます。
役人は「変わった事は無いかな?」等と聞きますが、気もそぞろ。
「あー、今わしが『番』と申したら『しっ』と申したな。あれは何だ」
「へえ、寒いから、シ(火)をおこそうとしたんで」
「土瓶のようなものを隠したな」
「風邪よけに煎じ薬をひとつ」
役人、にやりと笑って
「さようか。ならば、わしにも煎じ薬を一杯のませろ」
しかたなく、そうっと茶碗を差し出すとぐいっとのみ
「ああ、よしよし。これはよい煎じ薬だな。
ところで、さっき鍋のようなものを」
「へえ、口直しに」
「ならば、その口直しを出せ」
もう一杯もう一杯と、
酒も肉もきれいに片づけられてしまう。
「ええ、まことにすみませんが、煎じ薬はもうございません」
「ないとあらばしかたがない。拙者一回りまわってくる。二番を煎じておけ」

【演者】
これは有名なお噺ですので、演者も数多くいます。そんな中で個人的にお勧めなのはやはり古今亭志ん朝師ですね。兎に角鍋の食べ方が抜群です!
 柳家小三治師もいいですね。尤も色々な噺家さんが演じていますのでそれぞれの味があります。現役では瀧川鯉昇師がいいですね。何とも言えぬ可笑しさがあります。

【注目点】
 やはり鍋の食べ方とお酒の呑み方ですね。それぞれの個性がぶつかる場面ですから、注目して聴いて戴きたいです。
それと役人が出て来てからの皆の慌てぶりですね。その辺の演じ方にも注目して下さい。
噺を聴いて「鍋で酒が呑みたい」と思ったら噺家さんの勝ちですね。

『能書』
噺家さんもこの噺は演じていて楽しいそうです。出て来る役人も固いことを言わない粋な人物ですね。

『ネタ』
この噺では商家の旦那衆が夜回りをしていますが、本来は商家から人間を自身番に出す決まりでしたが殆どは「番太郎」と言う者を雇ってやらせていたのです。
 しかし、この人物は総じてだらしない人が多かったそうです。
町内の自身番に居たそうですが、前科前歴の怪しい人物が多かったとの記述もいあります。
「二番煎じ」とは本来、漢方薬の煎じ方の事で一度煎じた薬草に水を足して煎じた事に由来します。

その昔、ある年の11月に国立小劇場に「落語研究会」を聴きに行きました。トリは志ん朝師で演目は「文七元結」でした。落語史にに残る高座だったのですが、その時の仲入りが五街道雲助師で、演目がこの噺でした。その時の火の出る様な高座が忘れられません。

「一目上がり」という噺

837cca0f『一目上がり』
今日はこの噺です。この噺は別名「七福神」とも言われています。まあ今のうちしか出来ない噺ですね。
先日NHKの大河ドラマ「いだてん」を見たのですが、ビートたけしさんが古今亭志ん生師を演じていました。彼は以前に民放のドラマ「赤めだか」で立川談志師を演じましたが、正直、似合っていませんでした。でも今回はそれらしく見えます。本当の志ん生師の高座を見た事がありませんが、知らない世代を、それらしく見せる工夫はあったようです。

【原話】
天明7年(1787)刊の「新作落噺・徳治伝」(しんさくおとしばなし、とくじてん)の中の「不筆」からです。

【ストーリー】
隠居の家に年始の挨拶に訪れた八五郎。
建て増しをした部屋を見せてもらうと、書や色紙が掛けてありまる。
誉め方を知らない八五郎に隠居は「これはいい賛(さん)ですな」といって誉めれば周りが尊敬してくれると教えてくれました。

早速大家のところに行って試してみるが、賛ではなく詩(し)だという。
続いて医者の先生のところに行っていい詩だと誉めると「これは一休禅師の悟(ご)」だと言われます。
さん・し・ごと来たから次は六だと先回りをしてみたのたが、芳公のところで一本しかない掛け軸が出ました。
「賑やかな絵だな。男の中に女が一人混じっているが、間違いはないだろうな。」「バカ言うなよ」。
「なんて書いてあるんだ」、「上から読んでも、下から読んでも同じめでたい文なのだ。”ながき夜の とをの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな”」。「結構な六だな」と言うと「いいや、これは七福神の宝船だ」。

【演者】
昔は五代目古今亭志ん生、五代目柳家小さんや小圓朝師他色々な噺家さんがこの時期に演じていました。今でもそれは同じです。

【注目点】
ここでは七までで終わっていますが、そのあと芭蕉の掛け軸を「結構な八で」と誉めると「いや、これは芭蕉の句(九)だ」と続くやり方もあります。

『能書』
文字で表してしまうと賛・詩・悟・句と明白ですが、そこを話芸で聴かせるのが落語の面白いところですね。
いかにも「落語らしい落語」で、しかもおめでたい噺なので、初席等によく掛かります。

『ネタ』
「七福神」とは 福徳の神として信仰された七神で、布袋の他、恵比寿、大黒、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人。の神様の事を言います。(絵を参考にして下さい)

「橋場の雪」という噺

e5546d7f『橋場の雪 』
正月の三日に地元と言っても良い亀有で落語を聴いて来ました。出演者は、昇也、左龍、菊之丞、三三、権太郎と言ったメンバーでした。顔ぶれでは豪華ですね。トリの権太楼師は「笠碁」でした。かなり作り変えていましたね小さん師とも違いましたね、サゲも変えていました。正直イマイチでしたね。昇也さんが面白かったですね。
 という訳で今日はこの噺です。

【原話】
大元は「雪の瀬川」と言う人情噺が元の噺で、この噺を直して文楽師が十八番「夢の酒」として演じました。
更に「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」を文楽師が昭和10年ごろに「夢の酒」に改作しました。

【ストーリー】
商家の奥の離れに若旦那がいます。 こっそりと幇間の一八が忍んで来て、今日は瀬川花魁と会う約束だったじゃあないか、向島の料亭で瀬川が待っている、と言ます。 瀬川は、吉原で全盛の花魁。 
 女房のお花に内緒で抜け出した若旦那、瀬川の片えくぼのことなど考えている内に、吾妻橋を通り過ぎて、橋場の渡しの所まで来てしまいました。 
ちょうどその時、渡し舟が出たばかりで、土手の上の吹きざらし、寒いと思ったら、雪が降り出し、あたり一面真っ白。 
なのに自分だけ雪がかからないので、ふと見ると傘を差しかけてくれていたのが、お湯の帰りだという女中連れの三十に手がとどきそうな、いい女で、若旦那が三年前に亡くなった亭主に、よく似ている、近くなのでお茶でも差し上げたい、と言う。 丁度そこへ、渡し舟が戻って来てしまい、ここはこれまで。
 向島の料亭では、花魁はつい今しがた廓に戻ったという。
なんだと帰ろうとすると、渡し舟はあるが船頭がいません。 
そこへ小僧の貞吉が傘と足駄を持って迎えに来て、対岸の二階で先ほどの女が手招きしているのを目敏く見つけます。
 定吉は親父が深川の船頭だったから、渡し舟ぐらい漕げるのです。
石垣の間に蝙蝠傘を挟んだりすることはないという。 
貞吉に駄賃を一円、漕ぎ返すのにもう一円やって、女の家へ寄る事にします。 
「一献召し上がって」「じゃあ一杯だけ」 差しつ差されつやっているうちに、頭が痛くなって、次の間にとってあった布団に横になる。 
長襦袢になった女が、布団の隅の方にだけと入ってきました・・・
……「あなた、あなた」と女房のお花に起されると、 離れの炬燵の中で、夢を見ていたのでした。 
話を聞いて女房は泣き、若旦那は笑い、親父は怒る始末。 さっき駄賃を二円やったじゃあないかと言われて、釈然とせずに若旦那の肩を叩いていた貞吉が、居眠りを始めます。
 焼餅焼きのお花は「若旦那が橋場に出かける何よりの証拠、貞吉がまた舟を漕いでおります」

【演者】
これは最近では柳家三三師が落語研究会などで演じていますね。
昔のことですが、三代目柳家小さんの、明治29年の速記があります

【注目点】
「隅田の夕立」の方は円遊師が、夢の舞台を向島の雪から大川の雨に代え、より笑いを多くしたそうです。
「夢の後家」の方は、「夢の酒」と大筋は変りませんが、夢で女に会うのが大磯の海水浴場、それから汽車で横須賀から横浜を見物し、東京に戻って女の家で一杯、と、当時の明治らしさです。

『能書』
人情噺「雪の瀬川」(松葉屋瀬川)が「橋場の雪」として落し噺化され、それを鼻の園遊師が、現行のサゲに直し、「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作しました。
されに、「夢の後家」の方を、文楽師が昭和10年前後に手を加え、「夢の酒」として磨き上げました。

『ネタ』
文楽師も「夢の酒」を演じる以前はこの「橋場の雪」をしていたそうです。

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