らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

落語好きの人の為のブログです!

wYB61QGwO7vTxsyRKCgwiWEk9ZdLIl8InpOjAO03rrXUFzpnFXGzSLVZsv5IE1an「春風亭一之輔師の落語の生配信を考える」

 春風亭一之輔師が21日からyoutubeで落語の生配信をやっています。初日は「初天神」とみせかけ「団子屋政談」でした。
 正直、演目としてこの方が創作(改作)したものがあるとは知っていましたが、聴いたのは初めてでした。
 前半は普通の「初天神」ですが団子屋が登場するあたりから変わって来ます。師も
「ただの『初天神』だと思ったでしょう」
 などと語っていました。内容に関しては、ハッキリ言ってどうでも良い内容と言い切ります。古典落語ファンが聴くものでは無いですね。
 但し、落語を知らない初心者には良いかも知れません。そのレベルですね。それにこの日は師は明らかに意気込んでいましたね。それを悟らせずにやろうとしていたみたいですが、判りましたね。
 二日目は「粗忽の釘」でした。この日のテンションは普通だったと思います。内容は大師匠の柳朝師の型でしたね。夫婦で行水をする話が出て来るパターンですね。出来は普通でしたね。でもyoutubeは生配信の時はコメントがリアルタイムで書き込めるので結構色々な事が書かれていたのですが師は怒っていましたね。でもネットをした場合は仕方ないですね。
 昨日の三日目は「百川」でした。配信を見ている人の殆どがこの演目が六代目圓生師の演目だった事(自家薬籠中の物)だった事を知りませんでしたね。中には「さん喬師が良いですね」などとコメントしている人もいました。
 この日は明らかにテンションが下がっていました。本人も
「10日もやるなんて言わなければよかった」
 などと冗談を言ってましたが配信の難しさが判って来た感じですね。出来は最後を除けばまあ良かったですが、最後を変えていました。これがねえ……。
 普通の「たった二つだ」の後に本当の四神剣の交渉人が登場してその人物が百兵衛さんと同じような人物で
「同じような人が一人増えちゃった」
 で落としていました。
 これをどう評価するかですが、三日間通してですが一之輔師、変えすぎですね。それも余り良い変え方では無い気がします。寄席などではきっちりと演じてくれていますので、この配信は、自分のやりたいようにやってるのか、初心者向けにやってるか、あるいは新しい可能性を考えているのかのどれかだと思います。
 残り七日ありますので楽しみにしていましょう。
 時間は毎日三十日まで二十時十分から二十一時前後です。URLは
https://www.youtube.com/channel/UC2ROW2uDlhb-9rXzY2tqV3Q
です。配信後や時間に関係なくそれまでの高座を見ることが出来ます。
 興味のある方は是非!

追記……5日目は「青菜」でした。同じ年頃の時の小三治師には遠く及びませんでしたが、割合マトモでした。この日から投げ銭システムが採用されました。金額が本当なら30万近く行ったみたいです。仕組みがわからず。出来ませんでした。

0df729e0『よかちょろ』
相変わらずコロナの感染拡大が止まりませんが今は我慢なのでしょうね。
私の所にはマスクは未だ来ませんが皆さんの所は如何ですか?
 さて今日はこの噺です。

【原話】
「山崎屋」の発端を初代遊三師が改作したものと云われていますが、今では別の噺とされています。

【ストーリー】
若旦那の道楽がひどく、一昨日集金行ったきり戻らないので、旦那はカンカン。
番頭に、おまえが信用しないと余計自棄になって遊ぶからと、与田さんの掛け取りにやるように言ったのがいけないと、八つ当たりです。
今日こそみっちり小言を言うから、帰ったら必ず奥へ寄越すように、言いつけます。
そこへ帰ってきたのですが、集金したお金は全くありません。
旦那は呆れて、使い道を話してみろと言います。
若旦那は少しも騒がず、無駄な出費ではありませんと言う。
旦那は頭に来て、内訳を言ってみろといいます。
 その内訳は、まず髭剃代が五円、あとは「『よかちょろ』を四十五円で願います」
「よかちょろ」とは何だと言うと、安くてもうかるものだというので、
「ふうん、おまえはそれでも商人のせがれだ。あるなら見せなさい」
「へい。女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッハよかちょろ、
主に代わりて玉だすきィ……しんちょろ、味見てよかちょろ、
しげちょろパッパ。これで四十五円」
 旦那は呆れ返って仕舞い、女将さんにも文句を言ってモメます。
なんだかんだと言い合いをしてといとう若旦那、勘当にあいなります。

 以前は若旦那がこれ以外の出費を並べて二百円ちょうどにしたので、旦那がケムにまかれて
「うん、してみると無駄が少しもない」とサゲていたそうです

【演者】
これは黒門町が一番ですね。あとは談志師が好んで良く演じていました。

【注目点】
 作者の遊三と言う師匠は、ユニークな方で、幕府の御家人だったのですが、戊辰戦争にはあまり熱心でなく、
もっぱら寄席通いをしていたそうです。それが高じて噺家になるのですが、親戚一同に意見されて、
今度はなんと判事になったのですが、自分が担当した事件で自分好みの女性の判決で曲がった判決を言い渡して罷免されたそうです。
それから噺家に戻り、遊三となり一門を形成したという、素晴らしい人!?です。

『ネタ』
この頃の散髪は30銭もあれば出来たそうです。

6fdfc8e6『三方一両損』
今日は、「三方一両損」と言う江戸っ子の見本みたいな人物が出て来る噺です。

【原話】
文化年間(1804-18)から口演されていた古い噺で、講談の「大岡政談もの」の一部が落語に脚色されたもので、
さらにさかのぼると、江戸初期に父子で名奉行とうたわれた板倉勝重(1545〜1624)・重宗(1586〜1656)の事蹟を集めた「板倉政要」中の「聖人公事の捌(さばき)」が原典だそうです。

【ストーリー】
江戸に住む職人は「宵越しの銭は持たねえ」を信条に生きていました。というのも、腕のある職人は、働けばその日から稼げた時代だったからです。蓄えというものがなくても、みなで助け合ってなんとなく生きていけた。だからお金にこだわるのは恥という感覚が厳然としてありました。
そんな時代に、三両入った財布を拾った左官屋の金太郎。
中に入っていたメモを見ると持ち主は大工の吉五郎らしい。さっそく財布を持って吉五郎の家へ。ところが、届けてくれた気持ちには感謝するが、いったん俺の懐から出た金は俺のものではないから受け取れないと言い張り、金太郎は、拾ったお金を自分のものになんてできない、と意地の張り合いの末、大喧嘩に発展。そこへ仲裁に互いの長屋の大家が割り込み事態はくんずほぐれつ。奉行に解決してもらうことになります。
名奉行と噂の大岡様は、三両に一両足して四両にし、吉五郎に二両、金太郎に二両渡す。
本来なら届けてもらったのをそのまま受け取れば三両になるところ一両損した吉五郎、拾った財布をそのまま自分のものにしていれば三両が懐に入っていたはずの金太郎はそれぞれ一両の損、両者がいらないという三両をそのまま受けとらずに一両足した奉行も一両の損。
でもこれで三方が丸くおさまったわけだから三方一両損だと言う事になります。
さらに大岡様は一同に豪華な食事をご馳走し、その心がけを愛でる。
二人は「今度腹が減ったら喧嘩してここに来ようぜ」と意気投合。
大岡様が二人の大食を心配し「あまり食べ過ぎるなよ」と声をかけると、
「えへへ、多かあ(大岡)食わねえ、たった一膳(越前)」

【演者】
色々な噺家さんが演じています。特に八代目可楽師が得意にしていました。
個人的には二代目文朝師が好きですね。

【注目点】
落語のお奉行さまは、たいてい大岡越前守と決まっていて、主な噺だけでも「大工調べ」「帯久」「五貫裁き」「小間物屋政談」
「唐茄子屋政談」と、その「出演作品」はかなりの数です。

この噺、三人が損?というのは数学でいえば論理トリックなのですが、話の流れから全く矛盾を感じないで納得してしまいます。

『ネタ』
江戸っ子二人の威勢良さと、その二人を裁く奉行が上に立って物事を鎮める様を適切に描けているからこそ楽しめる噺で、その辺りに技術を要します。

0fc8dd4c『佐々木政談』
今日は久しぶりにこの噺です。

【原話】
江戸時代幕末に上方の三代目松鶴師が創作した噺で、三代目圓馬師が大正初期に東京に紹介・移植したと定説になっています。

【ストーリー】
名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守が、非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをしていると、
新橋の竹川町で子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まりました。
 面白いのでこれを見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、さっそうと奉行役が登場します。
 年は同じぐらいで、こともあろうに佐々木信濃守と名乗るではありませんか。色は真っ黒、髪ぼうぼう、水っぱなをすすりながらのお裁きです。
なんでも、勝ちゃんというのが
「一から十まで、つがそろっているか
 」ともう一人に聞き、答えられないので殴った、という。
 子供の信濃守はすまして、
「さような些細なことをもって、上に手数をわずらわすは不届きである」
 セリフも堂にいったもので、二人を解き放つ。
「つ」のことを改めて聞かれると、
「一から十まで、つはみなそろっておる」
「だって、十つとは申しません」
「だまれ。奉行の申すことにいつわりはない。中で一つ、つを盗んでいる者がある。いつつのつを取って十に付けると、みなそろう」
 その頓智に、本物はいたく舌を巻き、その子を親、町役人同道の上、奉行所に出頭させるよう、供の与力に申しつけます。
 この子供は桶屋の綱五郎のせがれ、当年十三歳になる四郎吉。奉行ごっこばかりしていてこのごろ帰りが遅いので、父親が怒っていると、突然奉行所から呼び出しが来たから、「それみろ、とんでもねえ遊びをするから、とうとうお上のおとがめだ」
 と父親も町役一同も真っ青。
 その上、奉行ごっこの最中に、お忍びの本物のお奉行さまを、子供らが竹の棒で追い払ったらしいと聞いて、一同生きた心地もしないまま、お白州に出ます。
 ところが、出てきたお奉行さま、至って上機嫌で、四郎吉に向かい、
「奉行のこれから尋ねること、答えることができるか。どうじゃ?」
 四郎吉は、
「こんな砂利の上では位負けがして答えられないから、そこに並んで座れば、何でも答える」
 と言って、遠慮なくピョコピョコと上に上がってしまったので、おやじは、気でも違ったかとぶるぶる震えているばかり。
 奉行、少しもかまわず、まず星の数を言ってみろと尋ねると、四郎吉少しも慌てず、
「それではお奉行さま、お白州の砂利の数は?」
 これでまず一本。
 父と母のいずれが好きかと聞かれると、出された饅頭を二つに割り、どっちがうまいと思うかと、聞き返す。
 饅頭が三宝に乗っているので、
「四角の形をなしたるものに、三宝とはいかに」
「ここらの侍は一人でも与力といいます」
「では、与力の身分を存じておるか?」
「へへ、この通り」
 懐から出したのが玩具の達磨(だるま)で、起き上がり小法師。錘が付いているので、
ぴょこっと立つところから、身分は軽いのに、お上のご威勢を傘に着て、ぴんしゃんぴんしゃんしているというわけ。
 ではその心はと問うと、天保銭を借りて達磨に結び付け「銭のある方へ転ぶ」
 最後に、衝立に描かれた仙人の絵が何を話しているか聞いてこいと言われて
「へい、佐々木信濃守は馬鹿だと言ってます。絵に描いてあるものがものを言うはずがないって」
 馬鹿と子供に面と向かって言われ、腹を立てかけた信濃守、これには大笑い。これだけの能力を桶屋で果てさせるのは惜しいと、四郎吉が十五になると近習に取り立てたという、
「佐々木政談」の一席でございます。

【演者】
戦後は圓生師の十八番でしたが、三代目金馬師も圓生師から移してもらい、「池田大助」として演じていました。
これは四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定でしたが、これだと当然、時代は百五十年近く遡ることになり、少し苦しいですね。

【注目点】
上方のはオチがあり
「あんたが佐々木さんでお父さんが綱五郎、あたくしが四郎吉、
これで佐々木四郎高綱」
「それは余の先祖じゃ。そちも源氏か?」
「いいえ、平気(=平家)でおます」
と地口で落とします。出世の事には触れないのが普通です。

『ネタ』
佐々木信濃守顕発は、嘉永5年(1852)から安政4年(1857)まで大坂東町奉行を勤め、
江戸に戻って文久3年(1863)、北町奉行に就任。
 数ヶ月で退いた後、再び年内に南町奉行として返り咲き、翌年退職しました。
江戸町奉行は、三千石以上の旗本から抜擢され、老中・若年寄・寺社奉行に次ぐ要職でした。今で言うと、都知事に警視庁長官と裁判官を兼ねていました。

20200414092916『代書屋』
 今日はこの噺です。新作ですが東西で広く演じられているので取り上げました。
代書屋さんというのは今で言う「行政書士」や「司法書士」のことです。

【原話】
これは、桂米朝師の師匠四代目米團治師が米之介を名乗っていた頃に作ったものだそうです。
【ストーリー】
代書屋さんに自分の履歴書を頼みに来た男。これがハチャメチャでして、「かけなさい」と言えば走りだす始末。学歴も職歴もめちゃくちゃ。なんとか修正を繰り返して出来上がる。署名してくれと言っても書けないというので仕方なく「辞書不能ニツキ代書」と判子を押してやります。
 その後、老人が来て、なんやらケチを付けまくって帰ってしまい、後で小僧さんがやってきて、さっきの老人の侘び料だといって金銭をだします。代書屋さんは、老人が書の大家と知り驚きます。
 領収書を書いて欲しいと言われ、書くと小僧さんにヘタだといわれるので、代わりに書いてくれと頼みます。書かれた領収書を見ると、”自署不能につき代書”

【演者】
これは上方では米朝一門を始め広く演じられています。三代目春團治もよく演じていました。東京では今は柳家権太楼師がよくやっていますね。尤も最後までは演じず。最初の男のところで冗談落ちにしています。

【注目点】
噺の中に出て来る「ガタロ」ですが、河童、河太郎のことのほか、川の底に沈んだゴミを掃除する人をも意味するそうです。
 五代目立川談志師が東京に移植したそうですが、ホントなのかな?
子供の頃に八代目助六師がテレビで演じて居た気がします。今のとは大分違うものですが……?
『ネタ』
四代目米團治師は大阪の今里に住んで本名で実際に代書屋を営んでいたことがあったそうです。実はドキュメント落語?
また米朝一門では「代書」として演じています。

02『死神』
今、世界でコロナウイルスという死神が飛び回っているので季節的は苦しいですが取り上げてみました。



【原話】
 この噺は西洋の話を参考に圓朝師が創作した噺です。元はグリム童話の『死神の名付け親』と言われています。
また初代圓遊師が改作した「誉れの幇間」という作品もあります。三代目金馬師や小朝師などが演じています。
また、今の形は圓朝師から二代目金馬師に伝えられたのを六代目圓生師が聴き覚えて、それを自分なりに改良したものです。

【ストーリー】
お金の算段も出来ずに女房に悪態をつかれて、家を飛び出してきた男。「死んじゃおうか」と思い始めている処に、「死に方を教えてあげようか」と死神が現れた。昔からお前とは因縁があるので、金儲けの方法を教えてやる、と言う。
「死神が病人の枕元に座っていたらそいつは助からない。また、反対に足元に座っていたら助かるから、呪文を唱えて追い払え」と言い、医者になるようアドバイスを与えて消えます。
その通りやると見事に当たります。やがて名医と呼ばれ沢山の富を築きますが、贅沢三昧でお金も無くなってしまいます。
 再び医者をやるのですが、今度は上手く行きません。困っているとさる大店からご隠居の治療を頼まれた。行ってみると死神は枕元にいるが、三千両の現金に目がくらんだ男は死神が居眠りしている間に布団を半回転させ、死神が足元に来たところで呪文を唱えてたたき出してしまいます。
 大金をもらい、大喜びで家路を急ぐ男は途中で死神に捕まり大量のロウソクが揺らめく洞窟へと案内されます。
 訊くとみんな人間の寿命だという。「じゃあ俺は?」と訊く男に、死神は今にも消えそうなろうそくを指差します。曰く
「お前は金に目がくらみ、自分の寿命をご隠居に売り渡したんだ」
 ろうそくが消えればその人は死ぬ、パニックになった男は死神から渡されたロウソクに継ぎ足そうとしますが……上手く行きません。
「ほら、消える!」
「ほら早くしろ!」
「ほ〜ら……消えた!」

【演者】
 三遊派を始め柳家、古今亭など殆どの噺家さんがやっていますね。最近は喬太郎さんのが評判が良いそうです。
噺の継承としては、圓朝→二代目金馬→六代目圓生→柳家小三治(本来の死神)という本来の流れと、圓朝→鼻の圓遊→三代目金馬→春風亭小朝。(誉れの幇間)という流れがあります。

【注目点】
ここにいらっしゃる方はもう筋はご存じだと思いますが、最近は色んな噺家さんが色んなサゲを演じていますね。要はどうやって蝋燭の火を消すかなんですがね。
また、呪文も色んな言葉遊びになっていますね。下げのパターンは私はオリジナルが一番凄みがあって良いと思いますがね。
 最後の豪商が一万両出すと言うのに負けてしまうのですが、額が額ですからねえ、自分でも正直弱いですね。
 皆さんならどうします。もちろん寿命が短くなるとは知らないとしたらですが。

『ネタ』
サゲに関しては色々な噺家さんが工夫していますね。
小三治師の様に風邪のくしゃみで消してしまうもの等色々あります。
みなさんはどれが好きですか?

079103c9『おせつ徳三郎 』
今日は人情噺の大作のこの噺です。かなり前に「花見小僧」と「刀屋」とに分けて記事にしましたが、今回はまとめてみました。

書いた通り、前半を「花見小僧」後半を「刀屋」とに分かれて演じられる噺です。

【原話】
 江戸時代の末にに活躍した初代春風亭柳枝師の作の人情噺です。
長い噺なので、古くから上下または上中下に分けて演じられることが多く、小僧の定吉(長松とも)が白状し、徳三郎が暇を出されるくだりまでが「上」で、別題を「花見小僧」と言います。
 後半の刀屋の部分以後が「下」で、これは人情噺風に「刀屋」と題して独立して演じられています。このように前半を「花見小僧」として分けて演じたのは初代圓遊師だそうです。

【ストーリー】
ある大店の一人娘の”おせつ”が何回見合いをしてもいい返事をしません。
それは”おせつ”と”徳三郎”という店の若い者と深い仲になっているらしいと御注進。
本人や婆やさんに聞いても話はしないだろうから。主人は花見の時期に娘と徳三郎にお供をした小僧から二人の様子を聞き出そうとします。
しかし小僧も利口者で簡単には口を開きません。
「子供の物忘れはお灸が一番」
 と足を出させ、宿りを年2回から毎月やるし、小遣いを増やしてやるからと、少しずつ口を開かせました。
 去年の春のことで忘れたと言いながら、白状するには、
「婆やさんと四人で柳橋の船宿に行きました。お嬢さんと徳どんは二階に上がり、徳どんは見違えるような良い着物を着ていました。船に乗って隅田川を上り、向島・三囲の土手に上がりました。その先は忘れました」
「そんなこと言うとお灸だ」 
「それじゃ〜、花見をしながら植半で食事をしました。会席料理で同じお膳が四つでました。みんなからクワイをもらってお腹がイッパイになったところに、『散歩しておいで』と婆やさんに言われましたが、お腹が苦しくて動けませんと言いました。そしたら、お嬢さんにも怒られ、おとつぁんのお土産に『長命寺の前の山本で桜餅を買っておいで!』と言われました。
 帰ってくると酔った婆やさんだけで二人は居ません。
『お嬢さんは”しゃく”が起きたので奥の座敷でお休みになっている』
 と言うので、行こうとすると
『お前は行かなくても良い、お嬢さんのしゃくは徳どんに限るんだよ。本当に気が利かないんだから』
 と言われ、
『はは〜ぁ、そうかと』
 と、ピーンときました。
 それから外に出て庭にいると、二人が離れから出てきました。お嬢さんは
『徳や、いつもはお嬢様、お嬢様と言っているが、今日からは”おせつ”と言っておくれ』
 そうすると徳どんは
『そんなこと言われても、お嬢様はお嬢様、そのように言わせてもらいます』
『おせつですよ』
『お嬢様ですよ』
 なんて、じゃれあっていました」
 と、顛末を全てしゃべってしまいました。
 ご主人はカンカンに怒って、おしゃべり小僧には約束の休みも小遣いも与えず、徳三郎には暇が出て、叔父さんの所に預けられます。

ここまでが「花見小僧」でこの後、徳三郎がどうするかが「刀屋」になります。

 徳三郎は、店のお嬢さんおせつといい仲になったが、それが主人の知るところとなり暇を出され、いまは叔母さんのところに身を寄せています。
ある日のこと、おせつに縁談が持ち上がり、今日が婿取りの日だと聞いた徳三郎は居ても立ってもいられず店を飛び出します。
向かった先は日本橋村松町で、ここには刀屋が軒を並べています。
ある一軒の店に飛び込んだ徳三郎は「二人切れる刀がほしい」と言って刀を吟味するのですが、おせつと一緒になれないのなら、婿取りの席に飛び込んでおせつを殺し、自らも自害する覚悟だったのです。
 苦労人の刀屋の親父は徳三郎の様子を見てこれは尋常でないとすぐに察し、世間話を装って、徳三郎の真意をうまく聞き出します。
「これは友達の話だ」
 と断って我が身の上を語った徳三郎に、刀屋の親父は
「女を殺すのが仕返しじゃない。死ぬ気で働き、お店の倍の身上をこしらえ、もっといい女を嫁にすればそれが仕返しだ」
 と諭すが徳三郎の耳には入りません。そこへ町内の衆が飛び込んでくる。伊勢屋の娘おせつが婚礼直前に家を飛び出し、行方不明になったと言う。それを聞いた徳三郎は血相を変え両国橋へと行きます。
 お嬢さんに申し訳ないと飛び込もうとしたちょうどそこへ、おせつが、同じように死のうとして駆けてきます。
 追手が追っていて、せっぱつまった二人、深川の木場まで逃げ、橋にかかると、どうでこの世で添えない体と、「南無阿弥陀仏」といきたいところですが、おせつの宗旨が法華だから
「覚悟はよいか」
「ナムミョウホウレンゲッキョ」
と間抜けな蛙のように唱え、サンブと川に。
ところが、木場だから下は筏が一面にもやってあり、その上に落っこちて、
「おや、なぜ死ねないんだろう?」
「今のお材木(題目)で助かった」

【演者】
演者としては「花見小僧」は七代目正蔵師、五代目小さん師などが演じています。また後半の「刀屋」は圓生師や志ん生師、志ん朝師、馬生師などが演じています。

【注目点】
サゲは、初代柳枝の原作では、おせつの父親と番頭が駆けつけ、
最後の「お材木」は父親のセリフになっていますが、圓生師も「刀屋」でこれを踏襲しました。
このオチは名人圓喬師が作ったと言われています。
なお、「お材木で助かった」という地口オチは、圓朝作「鰍沢」のそれと同じですが、もちろん、この噺の方が先です。
こうしたオチが作られるくらい、江戸には法華宗信者が多かったのでしょうね。

『ネタ』
明治期の古い速記としては、原作にもっとも忠実な三代目柳枝師のもの(「お節徳三郎連理の梅枝」)、明治26年ほか、「上」のみでは二代目(禽語楼)柳家小さん(「恋の仮名文」)、明治23年。初代三遊亭円遊(「隅田の馴染め」)、明治22年。
「下」のみでは三遊亭新朝(明治23年)、初代三遊亭円右(不明)のものが残されています。
 また、当時の日本橋村松町と、向かいの久松町(現・中央区東日本橋一丁目)には刀剣商が軒を並べていました。噺の通りだったそうです。


※一時閉鎖していた「落語千字寄席」さんが「落語あらすじ事典 web千字寄席」として復活しましたね。
めでたいです。私のブログを凌ぐサイトですので参考にしてください。

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