はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

「茶の湯」は秋の噺

il44_04いきなり寒くなって来ましたが、体調の変化にくれぐれもお気をつけ下さい。
と言う訳で今日は「茶の湯」です。
『茶の湯』
地味ですが色々と面白い噺です。

【原話】
文化3年(1806年)に出版された笑話本・「江戸嬉笑」の一遍である『茶菓子』です。
この噺は三代目金馬師が得意演目でしたが、圓生師が金馬師に移したそうです。

【ストーリー】
ある大店の隠居、根岸の別宅に居を移したが毎日が退屈で仕方がありません。
そこではじめたのが茶の湯なんですが、作法も何も分かりません。
小僧に買ってこさせた青黄粉や椋の皮を釜の中へ放りこんで楽しむといった、全くの自己流ではじめてしまったので、二人はお腹を壊してげっそり。
しばらくは二人で楽しんでいたがいつまでもそれではつまらないと、お客を無理矢理呼んで自らがこしらえたお茶うけとともに振舞うことします。
手始めに家作の長屋の三人を始めに読んで飲まします。
呼ばれた客は災難ですが、中には菓子の羊羹を食べたくて来る客も大勢現れる始末。
月末の菓子屋の勘定書きを観て驚いた隠居は、薩摩芋からとんでもない「利休饅頭」と言うのをこさえます。

ある日、そんなこととは知らない金兵衛さんが訪ねてきたので、しばらく茶の湯をやれなかった隠居は大はりきりで飲ませます。
「ウオッ!?」あわてて口直しをしようと饅頭を口へ…。
「アヒャッ!?」

あわてて便所に逃げ込み、このひどい饅頭を捨てる場所はないかと見渡すと、窓の外は一面の田んぼが広がっています。
エイッと垣根越しに放り投げると、畑仕事をしているお百姓さんの顔にベチャ!
「ナンダァ…う〜ん、また茶の湯かァ」

【演者】
先ほど述べた圓生、金馬師の他に歴代の名人が録音を残しています。また、現役の噺家さんも数多く話しています。

【注目点】
落語でよく取り上げられる根岸は、家督を譲った隠居やお妾さんが暮らした静かな土地であったそうです。
川柳等では、下の句に「根岸の里の侘び住まい」で知られていますね。

それに対して蔵前といえば、幕府の経済を支えた米を管理する米蔵がズラリ並んだところです。
そうした賑やかな土地から侘び住まいが似合うエリアに越してきたというのだから、寝る間も惜しむように働いてきた人にとっては、さぞかし手持ち無沙汰だったと思います。

『能書』
茶の湯に禅の精神が取り入れられたのは、室町末期のことだそうです。それを千利休が受け継いだのですね。

『ネタ』
今でもある「裏千家」と「表千家」ですが、元々は弟子である自分の家が千利休の家の表にあったか裏にあったかだそうです。面白いですね。

秋の定番噺「目黒のさんま」

rakugo_meguronosanma『目黒のさんま』
今年はサンマが不漁だそうでして、値段も高くなっているそうです。
この噺は秋の噺としては定番ですので取り上げてみたいと思います。
【原話】
三代将軍家光の実話に基づいた噺とも言われていて、かなり古くから演じられています。
、生粋の江戸落語で、大体、武士が出て来る噺は江戸が多いですね。

【ストーリー】
ある藩の殿様が不意に野駆に出かけると言い出し、さっさと馬に乗り出かけて仕舞います。(ここを鷹狩とやる噺家さんもいます)
中目黒あたり迄来たのですが、弁当を持ってこなかったので、昼時になると腹が減ってしかたありません。その時どこからか、魚を焼くいい匂いがします。聞くと秋刀魚と言う魚だと言う。
供は「この魚は下衆庶民の食べる下衆魚、決して殿のお口に合う物ではございません」と言う。
殿様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」と言い、供にさんまを持ってこさせた。これはサンマを直接炭火に突っ込んで焼かれた「隠亡焼き」と呼ばれるもので、殿様の口に入れるようなものであるはずがない。とはいえ食べてみると非常に美味しく、殿様はさんまという魚の存在を初めて知り、かつ大好きになった。
それ以来、寝ても覚めても秋刀魚の事ばかりが頭に浮かびます。
ある日、ある親戚の集まりで好きなものが食べられるというので、殿様は「余はさんまを所望する」と言う。
だがさんまなど置いていない。急いでさんまを買って来て、焼くのだが、脂が多く出る。
それでは体に悪いということで脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜くと、
さんまはグズグズになってしまう。こんな形では出せないので、椀の中に入れて、餡掛けにして出します。
殿様は見ると、かって秋刀魚とは似ても似つかぬ姿に「これは秋刀魚か?」と聞きます。
「秋刀魚にございます」という返事に食べてみたが、不味いの何の。
「いずれで求めたさんまだ?」と聞く。「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました」「ううむ。それはいかん。さんまは目黒に限る」。

 この設定が通常ですが、八代目林家正蔵師は将軍様として演じていました。歴史的に考えるとその方が無理が無いそうです。それに史実に基づいているとか……。

【演者】
これは色々な噺家さんが演じています。特に三代目金馬師は有名です。
小さん、圓生、等も良いですね。

【注目点】
最期のお殿様が食べる椀物ですが、圓生師は餡掛けとしていましたが、普通の椀物とする方が一般的の様です。
目黒あたりは、当時将軍家の御鷹狩の場所でした。広大な範囲だった様です。
だから鷹狩とする場合は、本当は目黒方面と言う方が良いと思います。

『能書』
落語に登場する殿様は、大抵、赤井御門守ですね。
石高は「12万3,456石7斗8升9合1つかみ半分」とされています。
名前からも判る様に、将軍家と姻戚関係があります。(門が赤いのは将軍家から輿入れがあった証)
一節には天皇家の血筋を引く家柄とも言われています。

『ネタ』
殿様が食べた秋刀魚ですが、江戸時代には目黒は芋の産地で行商が盛んに行われていたそうです。
「目黒の芋」の大需要地が、東海道品川宿と、大きな魚市場が当時存在していた芝であったので、目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという事です。
ですから、昼過ぎには間に合ったのですね。
後で食べた魚河岸の秋刀魚ですが、当時は保存の為、産地(銚子等)で塩を軽く振り、鮮度の維持に努めました。その後船で一昼夜かけて、日本橋に運び込まれたので、一般の人々が食べる頃は、塩味が付いていて、
そのまま焼いても美味しかったそうです。

「権兵衛狸」という噺

c49437e6今日は「中秋の名月」だそうです。そこでこの噺です。
『権兵衛狸』
お伽話のような落語ですね。

【原話】
1752年の「軽口副徳利の「狐の返報」が原話とみられています。

【ストーリー】
田舎に住む権兵衛の家には、夜な夜な若い者が集まって、いろいろな話をして帰る。
 ある夜、みんなが帰ってから「権兵衛、権兵衛」と戸を叩く者がいるが、戸を開けると誰もいない。
狸の仕業だと踏んだ権兵衛が、戸を叩くタイミングに合わせて、勢いよく戸を開けると狸が転がり込んで来た。
取っ組み合いの末に狸をふん縛り、天井から吊るしておいた。翌日、訪れた村人が、狸汁にして革は襟巻きにしようと言うが、今日は父親の命日だから殺生はせず、逃がしてやるという。
 ただ逃がしたのではまた悪さをするから、躾のために背中と頭の毛を刈り取った。
背中に夜風が滲みたら悪さをしちゃ行けないと思い出せ、と逃がしてやった。
 夜になると「権兵衛さん、権兵衛さん」と、また狸がやってきた。今度は何のようだと尋ねると
「今夜は、髭をやっておくんなせぇ」

【演者】
九代目の鈴々舎馬風師が得意としていました。今の馬風師も演じます。それと十代目文楽師も助演の時は結構演じます。短いので時間調整が楽なのでしょうね。

【注目点】
田舎の野趣もあり、獣を逃すと言う人情もあり、それでいてオチが何とも人を喰った噺で、
聴いていても後味の良い噺です。

『能書』
時間調整用には足りない場合は「のっぺらぼう」のマクラを入れる事もあり。色々と楽しめる噺です。

『ネタ』
この噺の最大の謎は、そもそも狸は何の用で権兵衛さんの所に来たのか?
恩返し? それともイタズラ?
権兵衛さんは「悪さぶちにやって来た」と言ってますが、年中こんな事があったのでしょうか? それなら、最初から捕まえそうですが……
それから、この地方では狸は狸汁にするのがデフォなんですね。
美味しいのか?狸汁。
熊は食べた事あるけど……。

「柳田格之進」という噺

0929『柳田格之進』
 今日は、この噺です。古今亭一門の噺ですね。

【原話】
誇り高い武士の生きざまを描いた人情噺の傑作ですが元は講談の「柳田の堪忍袋」とも云われています。
志ん生師が講談時代に覚えて人情噺にしたのかと思いきや、明治25年、「碁盤割」で「百花園」に掲載された
三代目柳枝師の速記があるそうです。ほかは古い口演記録がなくいので詳し事は不明です。

【ストーリー】
彦根の城主井伊氏のご家来で柳田格之進という文武両道に優れ品性正しく潔癖な浪人がました。
正直すぎて人に疎まれて浪人をしていて、浅草阿倍川町の裏長屋に娘”きぬ”と二人で住んでいます。
娘の助言で碁会所に顔を出すと、馬道一丁目に住んでいる質屋、万屋源兵衛と気が合っていつも二人で対局をしていました。

それなら私の家でと言うことになり、万屋源兵衛の家のはなれで指す様になり懇意になります。
終わると二人は一献傾けて楽しんでいて、毎日を過ごしていましたが、8月15日の中秋の名月十五夜の晩に月見としゃれながら夢中で指して、一杯ご馳走になり帰ってきました。

万屋源兵衛の店ではその晩に集金したばっかりの50両の金子が紛失して仕舞います。
二人が指している時に無くなったのだから、相手の柳田様が「もしかしたら・・」と番頭が言うのを振り切って話を納めた主人ですが、収まらないのは番頭・徳兵衛。
 
番頭の一心で、翌日柳田の長屋を訪ねて、事の次第を話し、「もしかしたら柳田様がご存じかと・・」「拙者が盗んだというのか」「思い違いではと・・」「私はどんなことがあっても、人の物を盗むという事はない!」「お上に届けて裁いてもらいますが・・」「それでは私が50両作りましょう。明日昼に来なさい」。
番頭が帰った後、娘の忠告で「裁きになれば潔白は晴れるが、その汚名は拭えないので、腹を切る」と言うところ、「私が身を沈めてお金を作ります」。
 
翌日番頭に50両を渡し「その金ではないので、後日金が出たらどうする」「そんなことはないが、その時は私と主人源兵衛の首を差し上げます」。その事を源兵衛に報告すると、源兵衛は謝りに番頭を連れて安倍川町の裏長屋に来てみると、すでに柳田は家を引き払った後で、落胆して戻る源兵衛。
店の者にも、出入りの者にも頼んで柳田を捜したが見つかりませんでした。

 煤払いの日、額縁の裏から50両が出てきました。「そうすると、あの柳田様の50両は・・・」。
どんなことがあってもと源兵衛は柳田様を捜させたのですが、見つかりませんでした。
 
年が改まって、4日、山の手の年始挨拶に番頭は出入りの頭を連れての帰り道、雪が降り始めた湯島の切り通しにさしかかった時、籠屋をいたわって歩いて坂を登ってくる侍が目に入ります。
蛇の目傘の内の贅沢なこしらえが目に止まって、見とれてやり過ごそうとしたその時、侍から声をかけられました。

何とその侍が柳田格之進で、今では300石に取り上げられていると言います。
「湯島の境内に良い店があるから」と連れて行くが番頭は閻魔様に連れて行かれるようで人心地もしません。
店で50両が見つかったことを話し、許しを請うが、明日昼頃万屋に伺うので、体をよく洗って置けと言い残します。
 
翌朝、源兵衛は番頭を使いに出して、柳田を迎え非礼を詫びたが、使いに出ないで待っていた番頭は「私がしたことだから」と主人をかばうが、娘の手前勘弁出来ないと二人を並べて切り捨てると言います。
刀を振り下ろすと、床の間の碁盤が真っ二つになって二人は一命を取り留めます。
二人の主従の真心が心に響いて手元が狂ったと言います。
 
さっそく、半蔵松葉から”きぬ”さんを身請けしてきて、娘に詫びたが、娘も父上の為ならと快く応じます。
 前よりも柳田と源兵衛は深い付き合いをするようになり、番頭の徳兵衛ときぬは夫婦となり万屋の夫婦養子になりめでたく収まります。
二人は仲が良くてまもなく男の子を産んだ。その男の子を柳田が引き取り、家名を継がせたと言う「柳田の堪忍袋の一席」でした。

【演者】
これはもう志ん生師を始め古今亭一門の噺家さんが数多く演じています。
今では他の一門の噺家さんも演じています。

【注目点】
娘さんが気が触れてしまったり、亡くなっていたりと悲しい終わり方をさせる噺家さんもいますが、志ん朝師はハッピ−エンドに終わらせています。このほうが後味はいいですね。
変わった所では圓楽師が、、越前屋がお花を身請けし、久兵衛とめあわせた上、産まれた長男が越前屋を、次男が柳田家を継ぐというハッピーエンドで終わらせています。

『能書』
仕官がかなったのに、娘を身請けしないのがスッキリしないなど今の感覚だと理解できない部分もある噺ですね。(それが武士の清さに繋がるのでしょうか?)

『ネタ』
柳田格之進の名前も角之進と表す時もあります。
志ん生師が、
「親が囲碁の争いをしたから、
娘が娼妓(しょうぎ=将棋)になった」
という地口のオチをつけたことがありますが、余り使わなかったそうです。
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