はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

落語好きの人の為のブログです!

8a709508『お血脈』
今日は地噺の「お血脈」です。

【原話】
善光寺由来に取材した地噺で、上方では「善光寺骨寄せ」とも言います。

【ストーリー】
長野善光寺にお血脈の御印と言うのがあり、これを押すとどんな罪も消え、極楽に往生出来ると言う。
これが有る為に地獄は暇になり寂れる一方になってしまいます。
困った閻魔大王は一同集めて相談を致します。
ある幹部の鬼が、「そのお血脈の御印」を盗みだしてしまえば、本来地獄に来る者が増えて良いのでは」と
提案致します。
さて、誰が良いか色々と選定した結果。石川五右衛門に白羽の矢が立ちます。
呼び出して命じると「そんな事は訳も無い事。すぐに盗みだしてみせましょう」と言って旅立ちます。
善光寺に来てみると未だ昼、何とか時間を潰して深夜になるのを待ちます。
さて深夜になり忍び込んで、間単に見つけ出します。
そのまま大人しく帰れば良かったのに、五右衛門、芝居ががった仕草が大好き。
「アァありがてえ、かっちけねえ。まんまと善光寺の奥殿へ忍び込み、奪い取ったるお血脈の印。これせえあれば大願成就、アァありがたや、かっちけなやァァ!」
と押し頂いたもんだから、自分が極楽へスーッ……


【演者】
色々な噺家さんが演じていますが個人的には十代目桂文治師ですね。寄席で本当に良く聴きました。六代目圓生師もよく演じていましたね。

【注目点】
「地噺」と言うのは、普通落語は会話で噺が進行しますが、そうではなく、地の文、つまり演者の説明により噺が展開していく噺を言います。代表的な噺に「源平盛衰記」「紀州」やこの「お血脈」等が有名です。

上方の「善光寺骨寄せ」では、地獄で責め苦にあって、バラバラになっていた五右衛門の骨を寄せ集め、元の身体に戻してから、善光寺に出発させる形を取ります。
こちらも面白いですね。小朝師は地獄めぐりならぬ極楽めぐりを噺の中に入れてます。

『ネタ』
まあ簡単に演じると10分掛からない噺なので、十代目文治師は「善光寺由来」を頭につけて演じていました。
これは私も良く聴きました。とにかく文治師の本多善光と仏様のやりとりが可笑しかったです。
善光寺由来と言うのは・・・
その昔、天竺から閻浮檀金(えんぶだごん)という一寸八分の仏様が日本にやってきたが、仏教に反対した守屋大臣(物部守屋)らの手によって、難波池に捨てられた。後の時代になり、ある秋の夜、その近くを通った本多善光がその仏を見つけ、現在の信州に連れて行き、お祭りしたところが、その名を取って「善光寺」となったと言う噺です。

il44_04 関東ではやっと涼しくなって参りました。そこでこの噺です。
『茶の湯』
地味ですが色々と面白い噺です。

【原話】
文化3年(1806年)に出版された笑話本・「江戸嬉笑」の一遍である『茶菓子』です。講談の「福島正則荒茶の湯」にも材を得ているそうです。
 この噺は三代目金馬師が得意演目でしたが、圓生師が金馬師に移したそうです。

【ストーリー】
ある大店の隠居、根岸の別宅に居を移したが毎日が退屈で仕方がありません。
そこではじめたのが茶の湯なんですが、作法も何も分かりません。
小僧に買ってこさせた青黄粉や椋の皮を釜の中へ放りこんで楽しむといった、全くの自己流ではじめてしまったので、二人はお腹を壊してげっそり。
しばらくは二人で楽しんでいたがいつまでもそれではつまらないと、お客を無理矢理呼んで自らがこしらえたお茶うけとともに振舞うことします。
 手始めに家作の長屋の三人を始めに読んで飲まします。呼ばれた客は災難ですが、中には菓子の羊羹を食べたくて来る客も大勢現れる始末。
 月末の菓子屋の勘定書きを観て驚いた隠居は、薩摩芋からとんでもない「利休饅頭」と言うのをこさえます。

 ある日、そんなこととは知らない金兵衛さんが訪ねてきたので、しばらく茶の湯をやれなかった隠居は大はりきりで飲ませます。
「ウオッ!?」あわてて口直しをしようと饅頭を口へ…。
「アヒャッ!?」
 あわてて便所に逃げ込み、このひどい饅頭を捨てる場所はないかと見渡すと、窓の外は一面の田んぼが広がっています。
エイッと垣根越しに放り投げると、畑仕事をしているお百姓さんの顔にベチャ!
「ナンダァ…う〜ん、また茶の湯かァ」

【演者】
先ほど述べた圓生、金馬師の他に歴代の名人が録音を残しています。また、現役の噺家さんも数多く話しています。

【注目点】
落語でよく取り上げられる根岸は、家督を譲った隠居やお妾さんが暮らした静かな土地であったそうです。
川柳等では、下の句に「根岸の里の侘び住まい」で知られていますね。
 それに対して蔵前といえば、幕府の経済を支えた米を管理する米蔵がズラリ並んだところです。
 そうした賑やかな土地から侘び住まいが似合うエリアに越してきたというのだから、寝る間も惜しむように働いてきた人にとっては、さぞかし手持ち無沙汰だったと思います。

『能書』
茶の湯に禅の精神が取り入れられたのは、室町末期のことだそうです。それを千利休が受け継いだのですね。

『ネタ』
今でもある「裏千家」と「表千家」ですが、元々は弟子である自分の家が千利休の家の表にあったか裏にあったかだそうです。面白いですね。

il0040『一人酒盛り』
今日はこの噺です。秋の噺とされています。

【原話】
元々は上方落語ですが、かなり古くから東西で演じられていました。
かの圓朝師も得意にしていた様です。
圓朝師は、「被害者」の男を、後半まったく無言とし、顔つきや態度だけで高まる怒りを表現して、円朝の顔色が青くなって、真実怒っているように見えたといいます。
弟子の圓橘師も十八番にしていたそうです。

【ストーリー】
 うまい酒を貰ったから一緒に飲もうと、留さんを呼びつけたのが飲ん兵衛の熊さん。
肴は何にも要らないが、格好がつかないからと、留さんに刺し身を買わせて漬物を出させて、燗の用意までさせました。
 ちょっと一口試してみようと口を付けなが「飲み友達は沢山いるが、留さんが一番好きなんだよ、二人でじっくりやろうよ」
「そう言われると嬉しいねぇ、で旨いかい」
「飲んでる時にせっつくんじゃねぇよ、もう一本熱いのを取ってくれ」
 しゃべりながら延々と一人で飲み続けた熊さんが気分よく酔って、留さんに何か歌えというが、素面じゃ歌えねぇ。だんだんぞんざいな口になり、終いに留さんを馬鹿呼ばわり。
 とうとう留さんが一杯も飲まないうちに酒が無くなってしまった。留さんが怒って飛び出すと、近所のおかみさんが飛び込んで来て、どうしたんだい、喧嘩でもしたのかい。 
「留公なら放っときな酒癖が悪いんだから」

【演者】
何と言っても個人的には圓生師ですね。
五代目小さん師もいいですね。

【注目点】
個人的にはこの噺は「猫の災難」に似ていると思います。
あちらは、友人の居ない内に呑んで仕舞いますが、こちらは目の前で呑んでしまうので、キツイですね
それと、演者は一人で呑んでいる訳ですが、その酔って来る仕草等も自然に行わければならず、かなり技量の居る噺です。

『ネタ』
上方では桂南天師から米朝師に伝わりました。
こちらの方は、主人公は引っ越してきたばかりの独り者で、訪ねてきた友達に荷物の後片付けまですっかりやらせるという合理的な運びで、その後「一人酒盛」のくだりに入ります。
六代目松鶴師の十八番でもありました。圓生師は三代目圓橘師のが伝わったと言います。

6169ff46『大仏餅 』
 これが秋の噺かと問われると困るのですが、噺の雰囲気では冬でしょうが、晩秋の夜に聴きたくなります。

【原話】
この噺は三遊亭円朝の作で、三題噺をもとに作ったものです。
出題は「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」です。

【ストーリー】
ある雪がしんしんと降る夜に、子供が店の中に入ってきました。
訳を聞くと、父親が怪我をしたので血止めを分けて欲しいと言うのです。聞けば、新米の盲目乞食が仲間内から縄張りを荒らしたと突かれて怪我をしたと言う事。
山下の大店のご主人は奥から、取って置きの薬を塗ってあげます。
子供の歳を聞くと六つだといいますが、当家の息子も袴着の祝いで八百善から料理を取り寄せて、お客さんに食べて帰ってもらったところだが、息子は旨い不味いと贅沢すぎる。
その反対にこの子は雪の中、裸足で親の面倒を見ている感心な子だと、料理を分けてあげたいと申し出ます。父親が出した面桶は朝鮮さわりの水こぼし、あまりにも茶人が使う高級品です。
それを分かって、部屋に上げて八百善のお膳を二つ用意しました。
 聞くと、過日は八百善の料理を味わっていた事もあるし、お茶の心得もあったが、貧乏して茶道具の全ては売り尽くしたのですが、この水差しだけは手放せなかった。
千家の宗寿(そうじ)門弟で芝片門前に住んでいた神谷幸右衛門だという。
あの神谷さんですかと驚いて、出入りの業者が言うには庭がどうの茶室がどうのと言っていたが、一度招かれたが所用があって行けず残念であったと述懐し、その河内屋金兵衛ですと自己紹介しました。
お互い相知った仲であった。
 鉄瓶点てで、お薄を差し上げたいと言いますが、お菓子が無いので、そこにあった大仏餅を菓子代わりに差し出し、子供と食べ始めたが餅を喉に詰まらせ息が出来なくなってしまいます。
あわてて、背中を強く叩いたら息が出来るようになり、同時に眼が見えるようになりました。そこまでは良かったのですが、鼻がおかしくなって声が巧く出ないようになってしまった。
「鼻?、今食べたのが大仏餅、眼から鼻ィ抜けた」

【演者】
これが有名になったのは黒門町の最後の噺になったからです。それまでは地味な噺でした。
同時期で演じたのは八代目正蔵師ぐらいでしょうか?
1971年8月31日、国立劇場小劇場における第五次落語研究会で文楽師が、この演目を掛けたのですが、途中「神谷幸右衛門」の名前が出てこず、「勉強しなおしてまいります」と言い、高座を降り、二度と高座に上がりませんでした。

【注目点】
三遊亭圓朝師の三題噺で、よくも即興でこれだけの噺が作れたと感心してしまいます。仕込みオチと言うのでしょうかね。「目から鼻に抜ける」と言う言葉の意味が、ちゃんと分かっていないとサゲが生きて来ませんね。

『ネタ』
 大仏餅と言うのは、江戸時代に京坂地方で流行した餅で、上に大仏の像を焼印で押したものです。京都誓願寺前や方広寺前などに有名な店があった。のちに江戸でも流行したとか。
 江戸では浅草並木町(現・台東区雷門2丁目)の両国屋清左衛門が始めたといわれるています。
 大仏の像を焼き印で押した餅菓子で、浅草の観音詣でをした人に土産として売れたと言います。さすがに今は有りません。

「オチ」
 後にですが、正蔵師と圓生師がこの噺と文楽師の事を対談で語っており、間違えた事について正蔵師が圓生師に
「お前さんならどする」
 と訊いたところ圓生師は
「あたしなら神谷ウタタでも何でもやっちゃうね」
 と語ったそうです。正蔵師は
「噺の中で人物の名前を間違えることは良くあるんですよ」
 と語っています。

rakugo_bakemono_tsukai yahooブログの方が事実上終了致しました。これからはこのブロ一本で頑張ろうと思います。どうか宜しくお願い致します。
 と言う訳で今日はこの噺です。

『化け物使い』
 この噺が秋の噺とは余り思えませんが、化け物の正体が狸なので秋に取り上げました。
 昨年は夏に取り上げていますね。しかもタイトルが間違ってるという(笑
【原話】
 実は大正時代に作られた新作落語です。と通説となっていますが個人的には今村信雄さんの作ではないかと睨んでおります。

【ストーリー】
人使いの荒いご隠居がいて、次々と奉公人を雇うが、三日も経たずに「暇をもらいたい、こう人使いが荒くちゃ辛抱なりかねます」と辞めてしまう。ところが、新しい奉公人の杢助は、なんなく言い付けをこなし、三年も勤めたが、ご隠居が新しい家を買って引っ越すことになったとき、化け物が出るという噂を恐れて、辞めてしまった。
 引っ越しをした最初の晩、食事の後に一つ目小僧が出たが、ご隠居は、皿を洗え、布団を敷け、肩を叩けとこき使った。二日目の夜は大入道が出たので、屋根の手入れをさせた。
三日目は女ののっぺらぼうが出ると、繕い物をさせた。さて、四日目は何が出るかと待っていると、大きな狸が出て来た。
「何だい、今まで化け物は、お前の仕業か?」
 と問うと、そうだと頷く。
「何の用だ」
 と聞くと
「お暇をもらいたい」
「どうして」
「こんなに化け物使いが荒くちゃ辛抱なりかねます」

【演者】
古くは四代目小さん、七代目可楽、そして三木助師や正蔵師、志ん生師が演じました。
個人的には志ん朝師の噺が耳に残っています。

【注目点】
三木助師は可楽師の型を踏襲したそうです。
それと千束屋は葭町にあった桂庵で当時はかなり有名でした。「百川」にも出て来ますね
『能書』
三木助師は盛り沢山の内容をコンパクトにまとめています。
杢蔵さんが三年会働くのを、賭けをしたからだと演じる人がいますが、
なんか興ざめですよね。ここは杢蔵さんの心意気を買いたいです。
三木助師は床屋の親方とのやり取りを通して、
杢蔵さんの身辺も出しています。

志ん朝師や彦六師が演じると、隠居さんが人使いが荒いのが
笑いに繋がっていますが、三木助師だとホントにこの人は
人使いが荒い!と感じて現実味が増して来ます。

『ネタ』
志ん生師は凄いですね、
噺の展開が他の方とは段違いです。息子の志ん朝師のも私は最高に面白いと思ってたのですが、
志ん生師の音源を聴いたらぶっ飛びました。
それぐらい常識を破ってくれました……ホント凄いです

images『蛙茶番』
 まだまだ残暑が厳しいですが、今日はこの噺です。季節的にですが、大店が棚卸しをする時期によく素人芝居をやったそうなので、秋の噺とされています。スーパーでもここの所「棚卸し」が多い感じがします。
今は軽い艶笑噺として演じられていますが、元は「五段目」の後半の噺だったと言う説もあります。

【原話】
1785年の「猫に小判」の「ふんどし」。1826年の「滑稽笑顔種」の「虫拳」等です。

【ストーリー】
町内の素人芝居で
「天竺徳兵衛」の「忍術ゆずり場」を出すことになったのですが、伊勢屋の若旦那が来ません。
どうやら、あてられた蛙の役が嫌で来ない様です。
店の定吉を説き伏せて役をやらせる事にしたのですが、今度は舞台番の半公が来ません。
定吉を使いにやると、芝居ではなく舞台番を当てられたのが不服の様です。
そこで番頭さんが、一計を案じ、半公が岡惚れの小間物屋のみい坊が
「役者なんかしないで舞台番と逃げたところが半さんらしくていい」
と、誉めていたと、だまして連れてこいと言いつけ、定吉を使いにやります。
これを聞いて有頂天になった半公、どうせならと、
自慢の緋縮緬のフンドシを質屋から急いで請け出し、湯屋で入念に「男」を磨く始末です。
何時まで待っても来ないので、「来ないとみいちゃん帰っちゃうよ」と言うと、
半公は慌てて湯屋から飛び出します。
もちろん自慢のふんどしも締め忘れたままです。
ふんどしを締め忘れた事に気がついていない半公は止せば良いのに、道行く知り合いに前をまくって見せて歩きます。
そのまま芝居に駆けつけたから芝居が始まりますが、場内はシーンと見入っていて騒ぐ者はいません。
じれた半公は自慢のモノを見せたいが為に、声を荒げ出します。
一人、二人と気がついた人が騒ぎ出します。
「ありがてえ」と益々調子に乗って半公は舞台番の位置から飛び出します。
いよいよ見せ場の忍術ゆずり場。
ドロンドロンと大どろになるが、ガマの定吉が出てきません。
「おいおい、ガマはどうした。」「へへっ、出られません」
「なぜ?」「あすこで、青大将がねらってます」

【演者】
 もう色々な噺家さんが演じています。六代目圓師も生前はよく演じていました。今でも寄席で結構かかりますね。寄席などでは結構女性客が喜んで聴いてる気がします。穿った見方でしょうかw

【注目点】
もうこれはいかに可笑しくもさらりとやるかですね。粋に演じる事が求められますね。

『能書』
昔はなんたって芝居が一番の人気です。人気も高いです。他の噺でも小僧の定吉が用足しのついでに一幕だけ芝居を見て帰り、バレて蔵にお仕置きの為、入れられるなんて噺がありますが、もう老若女男皆夢中だった様ですね。すると、今でもそうですが、憧れのスターと同じになりたいと言う気持ちが沸き上ります。
今ではカラオケやコスプレ等ですが、それが昔は自分達でも、憧れのスターと同じ芝居をやってみたい!
 と思う訳です。そんな素人芝居を茶番と呼びました。「とんだ茶番だぜ」なんて言葉は今でも使いますね。

『ネタ』
云われは歌舞伎の大部屋役者が、毎年五月二十九日の曽我祭の日に酒宴を催し、その席で、当番が面白おかしく口上をのべたのが始まりでそれを「酒番」と言いました。
享保年間(1716〜36)の末に、下戸の初代澤村宗十郎が酒席を茶席に代えたので、
酒番も茶番になりました。宝暦年間(1751〜64)になると、遊里や戯作者仲間、一般町人の間にもこの「口上茶番」が広まり、素人芝居に口上茶番の趣向を加味した「素人茶番」も生まれました。
「芝居」と銘打つとお上が煩いので、あくまでタテマエは茶番とし、商家の祝い事や町内の催しものに、アトラクションとして盛んに行われました。

vol_disc07『野晒し(のざらし)』
昨日今日は少し涼しくなりました。明後日あたりからは更に涼しくなるとか?
 ま、秋の噺はちょっと感じが出ないのですが、今日はこの噺です。

【原話】
 中国明の時代の「笑府」の中の「学様」と言う話を元に二代目林家正蔵師(沢善の正蔵)が作ったと言われています。この二代目の正蔵師は本職のお坊さんでもありまして、他に「蒟蒻問答」と言う噺も作っています。
 さらに、この噺を明治期に初代三遊亭圓遊師が爆笑落語に改作しました。

【ストーリー】
ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の自称女嫌いで知られた隠居・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
翌朝、八五郎は、尾形宅に飛び込み、事の真相をただす。尾形はとぼけてみせるが、八五郎に「壁に穴開けて、のぞいた」
と言われ、呆れたと同時に観念して、
「あれは、この世のものではない。向島で魚釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思ってそれに酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど、ねんごろに供養した。そうしたら、昨夜その骨の幽霊がお礼に来てくれた」
と語る。それを聞いた八五郎は興奮した様子で
「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だってかまわねえ」
と言って、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かう。
向島に到着した八五郎は土手の上から、岸に居並ぶ釣り客を見て、勝手に勘違いし、
「骨は釣れるかい? 新造(しんぞ=未婚の女性)か? 年増(としま=年頃の女性)か?」
と釣り客に叫び、変な人物だと首をかしげられる。
 釣り場所を確保した八五郎は、釣り糸を垂らしつつ、「サイサイ節」をうなりながら、女の幽霊が来るを妄想して、ひとり語りに没頭しはじめる。
  鐘が ボンとなりゃあサ
上げ潮 南サ
カラスがパッと出りゃ コラサノサ
骨(こつ)がある サーイサイ
そのまた骨にサ
酒をば かけてサ
骨がべべ(=着物)着て コラサノサ
礼に来る サイサイサイ
ソラ スチャラカチャンたらスチャラカチャン
 そのうちに、自分の鼻に釣り針を引っかけ、
「こんな物が付いてるからいけねぇんだ。取っちまえ」
と、釣り針を川に放り込んでしまう。

現在、殆どの噺家はここで切っています。でも本当はその先があるのですが、今では理解出来ない事が多く、それに面白くないとの理由です。
 でもここでは一応書いてみます。小説家志望なら知りたいですよね?

 八五郎は釣りをあきらめ、アシの間を手でかきわけて骨を探すことにし、なんとか骨を見つけ出すことに成功する。八五郎はふくべの酒を全部それにかけ、自宅の住所を言い聞かせ、「今晩きっとそこに来てくれ」
と願う。この様子を、近くの川面に浮かぶ屋形船の中で聞いていた幇間の新朝(しんちょう)。彼は、八五郎が普通の女とデートの約束をしていると勘違いし、祝儀欲しさで八五郎の長屋に乗り込む。
一方、女の幽霊が来ると期待していた八五郎は、新朝を見て驚き、
「お前は誰だ?」
「あたしァ、シンチョウって幇間(タイコ)」
「新町? しまった! あれは馬の骨だったか!」

【演者】
何と言っても三代目春風亭柳好師匠です! 「唄い調子」と言われる口調は、
四代目志ん生(鶴本の志ん生)師を真似たものだそうですが、見事な芸で、お客はおろか黒門町(八代目文楽)をはじめ、談志師等を魅了しました。あの圓生師でさえ納得させたと言われています。
 現役では小三治師が有名ですね、しかも最後まで演じた録音も残っています。
志ん朝師もやっていましたが、釣りの下りで下げていました。

【注目点】
やはり、八五郎が一人で勝手にのぼせ上がって行くのですが、ここをお客に白けさせないように演じなければなりません。
その点で現役の噺家さんには敬遠されているとか?

『能書』
先程も書きましたが、最後まで演じているのは人間国宝の柳家小三治師が有名です。CDも出ていますが、ネットにも音源が上がっています。
 三代目柳好師の調子の良い音源は残念ながらネットには上がっていません。上がっているのは亡くなる少し前の音源で調子の悪い時の音源です。流れるような謡い調子では無いのが残念です。ビクターからCDが出ています。殆どの図書館でもあると思いますので借りて聴いてみてください。今の噺家とは全く違う世界が楽しめます。
私が調べて耳で確認した限りでは師の違う録音は三つありました。(もっとあるかも知れませんが)

『解説のような話』
 その昔、浅草新町(あさくさしんちょう)と言う場所には太鼓職人が多く住んでいたり太鼓の店が多かったそうです。少し前のアキバの感じですね。だからシンチョウ=太鼓と繋がったのですが、当時は太鼓は馬の皮で作られていました。これが理解出来ないと本来のサゲが全く判りません。

『ネタ』
よく言われるのが季節ですね。春なのか秋なのか良く判りません。尾形清十郎のセリフに
「野を肥やす骨をかたみにすすきかな」
 と言わせておいて、すぐ
「四方の山々雪解けて水かさ増さる大川の……」と言ってしまっていて、これではどちらの季節か判りません。
 それに、この釣りはハゼ釣りなんだそうです。そんな意味から考えても面白いです。

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