はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

「尻餅」について

4f640bb0本当は暮れにやる噺ですが、お許し下さい。
『尻餅』
今日は「尻餅」と言う本当に季節限定の噺です。今でも暮れになると寄席でもこの噺がかかかります。ちょっと色っぽい噺でもあります。

【原話】
享和2年(1802年)に出版された笑話本「臍くり金」の一遍である『もちつき』とされています。

【ストーリー】
大晦日だというのに、餠屋も頼めない貧乏所帯での会話です。
女房が、せめて近所の手前、音だけでもさせてほしいと文句を言う。
これは、少しでも金を都合してきてくれという心なのだが、能天気な亭主、これを間に受けて、
自作自演で景気よく餠屋に餠をつかせている芝居をしようと言いだす。

夜、子供が寝たのを見計らい、そっと外に出て、聞こえよがしに大声で
「えー、毎度ありがとうございます」と叫び、子供にお世辞を言ったりする場面も一人二役で大奮闘します。

ところが、餅を搗く段になると、 いやがるかみさんに着物をまくらせ、手に水をつけて尻をペッタン、ペッタンとやりだします。
だんだん尻は真っ赤になって来ます。
かみさんはしばらくがまんしていたが、とうとうこらえ切れなり、
「あの、餠屋さん、あと、幾臼あるの?」
「へい、あと二臼です」
「おまえさん、後生だから餠屋さんに頼んで、あとの二臼はおこわにしてもらっとくれ」

【演者】
今でも色々な噺家さんが演じます。暮れのこの時期ならではの噺ですので皆さんも寄席に行ってこの噺を聴いてみて下さい。

【注目点】
演者のお餅をつく音をどのようにして出してるか? ですね。それこそ演者によって違ったりします。そこも注目点ですね。

『能書』
上方では、「白蒸(しろむし)でたべとくれ」でサゲます。
白蒸は、もち米を蒸して、まだ搗いていない状態のもので、なるほど、「もう叩かないどくれ」
という意味では、こちらの方が分かりやすいと言われてます。

『ネタ』
江戸時代は、餅つきは12月26日から始まりました。
これを餅つき始といい、この日から大晦日まで、「引摺り」といって、
餅屋が何人かで道具を持ち、得意先を回って歩いたそうです。

噺の中で、亭主が女房の尻に見とれる描写がありますが、今はいざ知らず、当時は夫婦といえども、
後ろからナニと言う行為はタブーとされていて、しかも明るいうちからまじまじと見る事は無かったので、
つい見とれてしまったのでしょうね。
正直、聴いていると、何となくサディスティクな気分になるような・・・・・・おかみさん可哀想ですよね。

ねぎまの殿様

0d0d9374今日はこの噺です。寒い冬ならではの噺だと思います。

【原話】
明治時代に、先々代立川談志師の作を今輔師が直した噺です。ある意味新作落語なのかもしれませんが、同じ時期に出来た圓朝師のは噺が古典扱いされてるので、こちらも古典でいいのかもしれません。
「目黒のさんま」と同じたぐいの噺ですが、こちらは余り高座には掛けられません。
最近は志ん輔師を初め色々な噺家さんが演じる様です。

【ストーリー】
あるお殿様、三太夫を連れて向島の雪見にお忍びで出掛けました。
本郷三丁目から筑波おろしの北風の中、馬に乗って湯島切り通しを下って上野広小路に出てきますと、ここにはバラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。
冬の寒い最中でどの店も、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理がいい匂いを発していますので、殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。
醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座ったが、何を注文して良いのか分かりません。
小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ〜」としか聞こえません。
さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。
三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。
酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。
結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまった。
 その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、この味が忘れられぬ有様です。

 昼の料理の一品だけは殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ〜」だと言います。
聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。
料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。
それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。
「灰色のこれは『にゃ〜』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。
三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、
 「留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて」。

【演者】
先代古今亭今輔師の十八番でしたが、今は一門を初め色々な噺家さんが演じます。
【注目点】
江戸時代の中頃まではマグロは江戸っ子はあまり食べなかった様です。
鮨が発明されて、ヅケが流行ると赤身は好んで食べられる様になりましたが、トロは捨てていました。
つい戦前まではそうだった様です。
そこで、このトロや筋の多い部分をぶつ切りにしてネギの青味とで小鍋仕立てにしたのが「ねぎま鍋」です。
やや醤油を効かせた味は東京ならではの味ですね。

『能書』
やはり熱々のねぎま鍋を食べる仕草でしょうね。目の前にそんな光景が浮かんで来たら成功だと思います。

『ネタ』
小鍋仕立てとは、小さな鍋に二種類くらいの材料を入れてさっと煮て食べる料理の形態で、粋な食べ物ですね。
小鍋の向こう側に美人でもいれば、なお美味しく戴けますね。(^^)

「富久」を考える

index『富久』
 年末になるとジャンボ宝くじが売り出されますね。皆さんはお買いになられたでしょうか? 世の中には当たった方がいらっしゃるですよね。羨ましいような……。一攫千金を願うのはいつの時代も変わらぬようで、今日は「富久」です。

【原話】
江戸時代の実話をもとに、円朝師が創作したといわれる噺ですが、速記もなく、詳しいことは分かりません。
もうこれは、沢山の噺家さんが演じていますが、有名なのは文楽師と志ん生師でしょうね。

【ストーリー】
 久蔵は腕の良い幇間ですが、酒癖が悪くて贔屓をみんなしくじって、浅草安部川町で一人暮らしをしています。
近くで出会った知り合いの吉兵衛から売れ残った最後の千両富買って、大事な富籤だからと大神宮様のお宮の中に隠します。
 ところが、その夜、芝方面が火事だと聞いて、芝の旦那の元へ火事見舞いに駆けつけ、詫びが叶います。
鎮火の後の振舞い酒に酔って寝ていると日本橋見当が火事だと起こされる。
駆けつけると自宅は丸焼け、旦那の家に戻ってくると、旦那は親切にも店に置いてくれるというので、久蔵は田丸屋の居候になります。
 翌朝、旦那が作ってくれた奉加帳を持って、寄付を募っている途中、湯島天神へ行ってみると久蔵が買った番号が千両の大当たり。
当たったと喜ぶが、火事で籖も焼けたことに気づき落胆します。
 とぼとぼと自宅の焼け跡に戻った久蔵に、鳶頭が、天照皇大神宮様は縁起物だから持ち出して正面に飾ったと告げます。
「あった」
「久さん、この暮れは楽に越せるね」
「大神宮様のおかげで近所の御祓をします」

【演者】
文楽師は「落語研究会」に予告しておきながら、「練り直しが不十分」という理由で何度も延期したので、評論家の安藤鶴夫師に「富久ならぬ富休」と揶揄されていたそうです。
文楽師はすぐれた描写力で冬の夜の寒さと人情の温かさを的確に描写し、この噺を押しも押されもせぬ十八番にまで練り上げました。対する志ん生師は久蔵に写実性を求め、失業した幇間久蔵が貧乏と言う生活苦になっても、びくともしないバイタリティ溢れる人物像を拵えています。

【注目点】
この噺でよく話題になるのが、浅草から芝まで久蔵が走っていくのは遠すぎると言う事でした。
酒を飲んで寝ているのですから、無理があるのではと言う意見です。
そこで旦那の店を日本橋横山町に変えたりして演じていました。
また、久蔵の長屋を日本橋の竈河岸として演じる噺家さんもいます。

『能書』
やはりこの噺の聴きどころは久蔵が旦那の店に駆けつけるシーンと、富くじに対する久蔵の心理描写でしょうね。当たっているのに、その肝心の富札が無いと言うジレンマですね。
この辺を味わいたいものですね。

『ネタ』
江戸時代の富くじは実際のところは、大変に流行して、多くの神社仏閣が発売したり、色々な金額のくじも発売され大騒ぎになったそうです。そこで幕府はこれを禁止してしまったそうです。

「芝浜」考

e88a9de6b59cefbc91本ブログにお立寄りなされた皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
と言う訳で今日は「芝浜」です。
このブログでは余り取り上げていない噺だと思います。

『芝浜』
今日は暮れの噺の大作、「芝浜」です。

【原話】
この噺は三代目三木助師によって飛躍的に有名になりました。
原作は三遊亭圓朝師で、三題噺からの創作と言われています。
三題噺のお題は、「よっぱらい」と「皮財布」と「芝浜」と言われていますが諸説あります。

【ストーリー】
魚屋の勝は酒におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続く。ある朝早く、女房に叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に向かいますが時間が早過ぎたため市場がまだ開いていません。
誰も居ない芝浜の美しい浜辺で顔を洗って煙管を吹かしていると、そこで偶然に財布を見つけます。
開けると中には目を剥く程の大金。有頂天の魚屋は自宅に飛び帰り、仲間を呼んで浮かれ気分で大酒を呑む始末。

翌日、二日酔いで起き出た魚屋に女房、こんなに呑んで酒代をどうするのか、と亭主に言います。
勝は拾った財布の件を躍起になって訴えるが、女房は、そんなものは知らない、と言う。
焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、何処にも無い。勝は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。
なんて情けない夢を見たのだと思い、酒を断ち、心を入れ替えて真剣に働き出します。

懸命に働いた末、生活も安定し、身代も増え、やがていっぱしの定店を構えることが出来た三年後の大晦日の夜、勝は妻に対してその献身をねぎらい、頭を下げる。ここで、女房は魚屋に例の財布を見せ、じつは・・・と、告白をはじめます。

あの日、夫から拾った大金を見せられた妻は困惑しました。と言うのも、横領すれば当時は死罪にあたります。
(江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪です)
長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は夫の大酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言い切り夢と言う事にしました。
時が経っても遂に落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の魚屋に財布の大金が下げ渡されたのでした。

この真相を知った勝はしかし、妻の背信を責めることはなく、道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久し振りに酒でも、と勧める。はじめは拒んだ魚屋だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」しかし思い立った勝、次には杯を置く。

「よそう。また夢になるといけねぇ」

【演者】
やはり三代目桂三木助師が絶品と呼ばれています。でも志ん朝師は海のシーンをあえて演じませんでした。それも面白いです。

【注目点】
この女房の描き方が色々な噺家さんで変わってきますね。
有名なのは談志師で、原作通りだと「できすぎ」と言う事で、告白の時に「騙して申し訳無い」と心から謝罪して涙を流す、偉ぶらない妻として描いています。そして女房を可愛く演じていますね。(その後何回も変えましたがw)
柳家権太楼師は勝っあんが怒って女将さんをぶってしまいますね。これは異色だと思いますが、それなりの理由もあるそうです。
個人的ですが、人情の機敏さの本筋さえきちんと押さえていれば、噺としては良いのではないかと思いますね。緻密な構成と人情味、そして素晴らしい女房だったら幸せですね。

『能書』
この噺を夫婦の愛情を軸とするか、勝っあんが出世する噺とするかで演じ方が変わって来ます。そこも注目して聴いてみて下さい。

『ネタ』
三木助師の噺が有名になったのは、安藤鶴夫先生の宣伝もあったそうですが、噺に日の出の様子をいれた描写は当時は新鮮だったのでしょうね。
私の個人的な意見ですが、その為、勝っあんのだらしなさが少しスポイルされてしまうと思いますが、
如何でしょう……。
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