はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

今日はね、ちゃんとやりますよ! あたしは

「品川心中」という噺

e66a6210『品川心中』

 この噺は郭の「移り替え」の噺なので本来は6月と10月の噺ですが先取りしてやってみようと思います。

【原話】
天保11年(1840年)刊の『井関隆子日記』という本の2月のとろろに、原話と思われる記述があるそうです。何れにせよ古い噺ですね。

【ストーリー】
品川新宿に白木屋の板頭に”お染”という花魁がいました。全盛の時が続いたのですが、そこは歳と共に人気が下がり、移り替えだというのに金の工面出来ず困っていました。
あっちこっちの客に手紙を出すのだが、色よい返事が来ません。
こんな惨めな事ならいっそ死んでしまおうかと考えるのですが、一人じゃ惨め。
心中なら浮名が流せると思い、なじみ客から心中の相手を人選します。
選ばれたのが、貸本屋の金蔵。これなら係累がいるわけじゃないから構わないだろうと言うひどさ。
思いの丈を手紙にしたためて金蔵を呼び出します。
来てみるとお染めは浮かない顔をして金の相談です。
金なら無い。じゃどうする?いっそ心中をしてくれと持ち掛けると「いいよ」と言う返事。
じゃ、明日の晩にしようと決めた。でも、金さんに逃げられると大変だからと、極上のサービスをして朝送り出します。
金さんは家財をみんな売り払って、近所にいとま乞いをして歩いた。
親分の家に挨拶しに行ったが、疑われ始めたので慌てて飛び出したはずみに、匕首(あいくち)を忘れてしまった。
そしてお染の所にやってきます。最後だから飲めや食えやの大盤振る舞いです。
お染が廻しを取って金蔵の所に帰ってくると金蔵は大鼾。
起こして死のうと言うとナンだかんだと言いらちがあきません。
それなら、裏の海に飛び込もうと金蔵をお染が引きずって裏の海に出てきます。
グズグズしてる金蔵を突き落として、自分もと言う時に、金が出来たとの知らせが来ます。
「チョイと金さん早かったよ。お金が出来たんだって。未だ死ねないから……、長々お世話になりました。サヨナラ、失礼」。こんな失礼は無いと言う事で。
この後金蔵は助かり親分の家へ行きます。
ここまでが上になります。
下は、金蔵が親分の助けを借りてお染に仕返しをすると言う筋です。

【演者】
その昔、六代目圓生師が「落語研究会」で通しで演じました。
下は余り演じたれませんが、今でも通しで演じる噺家さんはいます。
談志師や志ん生師も通しで演じています。
最近では平成18年にさん喬師が演じていますね

【注目点】
下についてですが、長いのと、下は上に比べ笑いが少ないので、余り演じられません。
サゲも今では分かりにくくなっています。
お染の髪を切らせて、正体を表し、お染が「ヒドイじゃないか」というと
「お前があまり客を釣るから、ビク(魚籠と比丘)にされたんだ」。
というモノです。

『能書』
品川心中というくらいですから舞台は品川です。
駅のあたりは再開発で沢山のビルが立ち並んでいますが、あの辺は正直品川じゃない!
今の所番地でも品川駅は品川じゃないんですよね。港区です。
何処から品川なんだと言うと京品急行が八ツ山橋を渡った所からです。
そこら辺が品川宿の入り口でした。

『ネタ』
この噺や「居残り」「五人廻し」をベースにした映画「幕末太陽傳」があります。
最近デジタルリマスターで綺麗になった映像がDVDで出ました。
未見の方は是非一度ご覧になって下さい。いいですよ〜(^^)

「心眼」という噺

796b3a9c『心眼』
今日は圓朝師作と言われるこの噺です。
写真は噺出て来る茅場町のお薬師様「智泉院」の薬師像 です。

【原話】
三遊亭圓朝師が、弟子で盲人の音曲師だった円丸の、横浜での体験談をもとにまとめあげたといわれます

【ストーリー】
横浜から顔色を変えて”梅喜(ばいき)”が歩いて帰ってきます。聞くと弟に「穀潰しのドメクラ」と何回も言われたという。それが悔しくて翌日自宅の馬道から茅場町の薬師様へ「どうか、目が明きます様に」と、願掛けに通った。女房”お竹”の優しい取りなしもあって、満願の日、願い叶って目が明きます。
その時薬師様のお堂の上で声を掛けられたのですが、馬道の上総屋さんの顔も分からない。
目が明くと道も分からないので、上総屋さんに手を引いてもらって帰ります。
色々な物にビックリして眺めていると綺麗な芸者を見つけます。
お竹と比べるとどっちが綺麗ですかと尋ねると、本人を目の前にしては失礼だが、東京で何番目という化け物の方に近いが、心だては東京はおろか日本中でも指を折るほどの貞女だ。似たもの夫婦の逆で、梅喜はいい男だがお竹さんはマズイ女だ。芸者の小春も役者よりお前の方がいい男だと言ってたぐらいだと、聞かされます。
浅草仲見世を通り、観音様でお詣りしていると、上総屋さんは何時の間にかいなくなって仕舞います。
その時、知り合いの芸者”小春”が梅喜を見つけて、食事にと富士下の”待合い”に誘った。
お竹は上総屋の知らせで観音堂に目が明いた梅喜が居ると知らされ喜んで来てみると、二人連れが待合いに入る所を見ます。中の二人は酒に任せて、化け物女房は放り出すから、いしょになろうと相談していると、お竹が踏み込んで、梅喜の胸ぐらを締め上げた。「勘弁してくれ、苦し〜い。お竹、俺が悪い。うぅ〜」 。
「梅喜さん、どうしたの?」、うなされていたので梅喜を揺り起こした。夢であった。「一生懸命信心してね」、「あ〜ぁ、もう信心はやめた」、「昨日まで思い詰めた信心を、どうしてよす気になったの」
「盲目というものは妙なものだね、寝ている内だけ良〜く見える」。

【演者】
何と言っても黒門町の高座が見事です。音だけでは解りにくいのですが、映像で見ると、その所作や盲人を表現する様は見事と言う他ありません。

【注目点】
圓朝師の原作では少し展開が違うそうです。
亭主の目が開くなら自分の目がつぶれてもいいと、密かに薬師に願掛けしていた女房・お竹の願いが聞き届けられ、梅喜は開眼するものの、お竹の目はつぶれます。
梅喜と小春が富士下(浅草馬道の富士浅間神社の坂下)の
「釣堀」という料亭にしけこんだと聞いて、お竹が女按摩に化けて乗り込み、さんざん恨みごとを並べたあげく、堀に身を投げ……というところで梅喜の目が覚めます。
サゲは「目が覚めたら何も見えない」という、割合平凡なサゲです。

『能書』
池波正太郎さんの記述ですが、戦後間もない頃に人形町「末広」で文楽師が「心眼」と「王子の幇間」を演じたそうです。両方共戦時中は禁演落語でしたから演じる事は出来ませんでした。それが解けて晴れて演じられた文楽師はそれは見事な高座だったそうです。

『ネタ』
「心眼」とは「物事の大事な点を見通す、鋭い心の動きの事を言うのだそうです。

「引っ越しの夢」という噺

5df11c47『引っ越しの夢』
今日はこの噺です。別名「口入れ屋」とも言います。

【原話】
1785年の「御祓川」の「壬生の開帳」が原点です。上方落語ですね。

【ストーリー】
ある大店に、桂庵(現在の職業紹介所)から絶世の美女が女中奉公にやって来ます。
おかげで店中が大興奮。特に張り切った一番番頭の手回しでその日は早仕舞になります。
その夜、みんなが寝静まったのをみはからい、二番番頭さんが起きだして下女部屋に忍び込もうとしたのですが、
そんな事を想定していたおかみさんの一存で梯子は二階に引き上げられています。
困った二番番頭さんは、一階と二階を貫いている膳棚を梯子代わりにすることを思いついたのですが、
壊れていたのか古いせいか、手をかけた途端に棚が崩れ落ち、棚を肩で支える羽目になってしまいます。
今度は一番番頭さんが起きだしてくるのですが、やはり梯子が無いため膳棚を足掛かりにしようとし、二番番頭さんと同様に棚を担ぐ羽目になってしまいます。
しばらくして、今度は手代が起きだしてくるのですが、梯子が無いのを確認した彼は、天窓のひもを伝って二階へ上がっていくことを思いついたのですが、ぶら下がった途端に紐が切れ、手代は井戸の中へ落ちてしまいます。
皆困っていると、騒ぎを聞きつけたおかみさんが灯りを持ってやってきて、あきれます。
困った二人の番頭は、棚を担いだままタヌキ寝入りをすることにします。
おかみさん、「ふたりともそこで何をしてるの?」「へい、引っ越しの夢を見ておりました…」

【演者】
東京では圓生師もやっていましたし、小三治師や小さん師も演じていました。今では多くの噺家さんが演じています。上方ではもちろん米朝師ですね。

【注目点】
上方落語だと、口入屋で定吉が暴走する序盤や、女中の素性をおかみが質問する中盤が楽しい半面、
大ネタなので、力が無いと、最後迄持ちませんね。
上方では、古くから「口入屋」として口演されてきましたが、いつごろ伝えられたか、
江戸でも少し違った型で、幕末には高座に掛けられていたようです。

『能書』
明治以後、東京でも、上方の型をそのまま踏襲する演者と、
古い東京(江戸)風の演出をとる者とに分かれました。
前者は東京では三代目三遊亭円馬師が初演。
上方通り「口入屋」の演題を用いたのは、四代目柳家小さん師や九代目桂文治師もこちらで演じました。

『ネタ』
江戸の商習慣では3月9月に奉公人の入れ替えがあったそうです。
だからこの噺を秋の噺として演じる噺家さんもいます。

「鹿政談」という噺

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いつの間にかすっかり春になってしまいました。
春の噺もかなりやったのでそろそろ次の季節に移りたいと思います。
そこで今日はこの噺です。

【原話】
元々は講釈種の上方落語の演目で、明治の初期に2代目禽語楼小さん師が東京に移植しました。

【ストーリー】
奈良の名物は「大仏に鹿の巻き筆、あられ酒、晒し、奈良漬け、奈良茶粥、春日灯籠に朝の早起き」と言います。
奈良の人たちは早起きだったというが、なかでも夜明け前から仕事をしているのが豆腐屋さんでした。

春日大社の近くで豆腐屋を営んでいる与兵衛という男。
店先に出したきらず(おから)の桶に犬が首を突っ込み、盗み食いしているのを発見し、
手元にあった薪を投げつけ、薪が見事に命中、しかし、よく見れば表にいたのは犬ではなく雄鹿でした。

当たり所が悪かったのか、鹿はそのまま死んでしまいます。
当時、奈良の鹿は春日大社のお使い姫と言われ、神聖視されていたのです。
鹿を殺した者は生き埋めにされ、石で責め殺される「石子詰め」の刑に処せられる決まりでした。
鹿の守り役をしている藤波河内という役人が、金を貰えば内分にもみ消してもよいというそぶりを見せるが与兵衛は根っからの正直者。
役人の誘惑を断ると鹿殺しの犯人としてお白砂に引っ立てられます。
すぐに目代と興福寺番僧・了全の連印で、
願書を奉行に提出、名奉行・根岸肥前守の取り調べとなります。

肥前守、六兵衛が正直者であることは調べがついているので、なんとか助けてやろうと、
その方は他国の生まれであろうとか、二、三日前から病気であったであろうなどと
助け船を出すのだが、六兵衛は「お情けはありがたいが、私は子供のころからうそはつけない。
鹿を殺したに相違ござりまへんので、どうか私をお仕置きにして、残った老母や女房をよろしく願います」
と、答えるばかり。

困った奉行、鹿の死骸を引き出させ
「うーん、鹿に似たるが、角がない。これは犬に相違あるまい。一同どうじゃ」
「へえ、確かにこれは犬で」
ところが目代、
「これはお奉行さまのお言葉とも思われませぬ。
鹿は毎年春、若葉を食しますために弱って角を落とします。これを落とし角と申し・・・」
「だまれ。さようななことを心得ぬ奉行と思うか。さほどに申すなら、出雲、了全、その方ら二人を取り調べねば、相ならん」

二人が結託して幕府から下される三千石の鹿の餌料を着服し、あまつさえそれを高利で貸し付けてボロ儲けしているという訴えがある。
鹿は餌代を減らされ、ひもじくなって町へ下り、町家の台所を荒らすのだから、神鹿といえど盗賊同然。
打ち殺しても苦しくない。
「たってとあらば、その方らの給料を調べようか」と言われ、目代も坊主もグウの音も出ません。

「どうじゃ。これは犬か」
「サ、それは」
「鹿か」
「犬鹿チョウ」
「何を申しておる」
犬ならば、とがはないと、六兵衛はお解き放ち。

「これ、正直者のそちなれば、この度はきらずにやるぞ。
「はい、マメで帰ります」


【演者】
6代目圓生師や6代目柳橋先生さらに三代目三木助師や、上方の米朝師が得意にしていました。

【注目点】
従来、舞台は奈良・本町二丁目で演じられていたものを圓生師は三条横町としました。

『能書』
根岸肥前守といえば、根岸肥前守鎮衛(1737〜1815)の事であり、優れた随筆家で奇談集「耳嚢(みみぶくろ)」の著者として、あまりにも有名です。
最近では、風野真知雄作「耳袋秘帖」シリーズの名探偵役として、
時代小説ファンにはすっかりおなじみです。
実は肥前守は奈良奉行を努めていません。これも落語のウソですね。
でも、その方が面白く聴けますからね。

『ネタ』
豆腐の絞ったカスの関東では「おから」関西では「きらず」というそうですが、
「きらず」というのは最早死語に近いとか。
「卯の花」というのは塩の事を「波の花」硫黄を「湯の花」と言う感覚と同じです。
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